メッセージテーマ「福音の種まき」



  • 2026/05/01
  • 聖霊 / 福音の種まき

「地の果てまで」
—聖霊の力に生きる証人として

イスラエルから約一万キロ——。
地球をほぼ四分の一周するその距離を隔てた日本に、イエス・キリストの福音が届いています。これは、いったい何を意味するのでしょうか。

宣教師たちの優れた語学力でしょうか。あるいは、優れた組織力や財力でしょうか。いいえ、違います。福音を伝えた人々の背後に、聖霊なる神が働いておられたからです。聖霊こそが、一人ひとりの信者に力を与え、キリストの証人として立たせてくださいました。

その召しに信仰をもって応答した人々がいました。彼らは、命の危険をも顧みず、イエス・キリストが罪と死の束縛から解き放つ唯一の救い主であることを宣べ伝えました。その「命のバトン」は途絶えることなく、約二千年にわたって繋がり続け、ついに「地の果て」に住む私たちのもとに届いたのです。 これを奇跡と呼ばずして、何と呼ぶことができるでしょうか。

伝道は「頑張り」ではない

ペンテコステを記念するこの季節、私たちは改めて問われます。「あなたはキリストの証人として歩んでいますか」と。

しかし正直なところ、「伝道」という言葉を聞くと、身構えてしまう方も多いのではないでしょうか。何か特別な技術が必要なのではないか、上手く話せなかったらどうしよう——そのような思いが先に立ち、気おくれしてしまう。その気持ちは、よく分かります。

しかし使徒1:8は、明確に語っています。証人としての力の源は、私たち自身の熱意でも才能でも努力でもない。「聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受ける」のです。

キリストの証しは、人間的な頑張りによって達成するものではありません。私たちのうちに住んでくださる聖霊が、その働きをなさるのです。

心から溢れてくるままに

では、私たちは何をすれば良いのでしょうか。 答えはシンプルです。キリストから受けた恵みを、喜んで語ることです。

日々の生活の中で体験している祝福、試練の中で支えられた幸い、御言葉によって慰められた経験——そういったことを、出会う人々に、心から溢れてくるままに語れば良いのです。特別な演説を準備する必要はありません。

「何を語るべきか」は、聖霊がその時その時に教えてくださいます。日々、御言葉を心に蓄えていれば、必要な時に自然と思い起こされてきます。それもまた、聖霊の働きにほかなりません。

主イエスもこう約束されました。「何をどう話すかは、その時に示されます。話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって語られるあなたがたの父の御霊です」(マタイ10:19〜20)。この約束は、今日の私たちにも生きています。

「地の果て」からの応答として

二千年前、十一人の弟子たちがエルサレムで聖霊の満たしを受けた時、彼らは誰も、その福音が日本という島国にまで届くとは思っていなかったでしょう。しかし聖霊は、人間の想像をはるかに超えて働かれました。

今、その「地の果て」に立つ私たちは、バトンを受け取った者です。そして同時に、次の走者にバトンを渡す者でもあります。

私たちのうちにおられる聖霊の力を、信じましょう。そして体験しましょう。日々の歩みの中で、溢れてくる恵みを語り出す時、聖霊はすでに働いておられます。

ペンテコステの恵みは、過去の出来事ではありません。今日も、あなたの上に。


  • 2024/07/01
  • 再臨 / 福音の種まき

しるしを見分ける者は幸いである

イエス・キリストが今から約2000年前にお生まれになった時、天に一つの星が現れた。この星は、救い主(メシア)誕生のしるしであり、その星が現れることは、民数記24章17節で預言されていた。また、ダニエル書9章25節から、メシアが現れる時期が特定されていた。それゆえ、その星を見た東方の博士たちは、メシアが誕生されたことを知り、メシアを礼拝するためにエルサレムに上ってきた。それと同じように、メシアが再び来られる時がいつなのかを示すしるしについて、イエス・キリストが語られている箇所がある。それが、マタイの福音書24章に記されている「オリーブ山の説教」である。

オリーブ山での説教では、エルサレム崩壊のしるし、世の終わりのしるし、メシア再臨のしるしについて語られている。このうち、エルサレム崩壊は紀元70年に成就し、世の終わりのしるしは20世紀に入って成就し、そして、メシア再臨のしるしは、近い将来に訪れようとしている。このように、今という時代は、世の終わりの時代に突入している人類歴史の転換期なのだ。ところで、世の終わりという言葉についてだが、これはこの世界が消滅するという意味ではない。当時のユダヤ人たちは、「今いる時代」と「メシア的時代」という 2つの時代を認識していた。よって、世の終わりとは、今いる時代が終わり、メシア的時代、つまり、メシアが王として地上を統治するメシア的王国の到来を迎える直前の時期のことを意味している。

神のご計画では、この歴史は、イエス・キリストが来られて人類の罪を贖うために十字架で死に、墓に葬られ、3日目に蘇り、天に昇られた後、約2000年に渡る教会時代を経て、世の終わりを迎える、という流れになっている。この「世の終わり」が始まるしるしというのが、人類史上初めての世界戦争である第一次世界大戦の勃発である。第一次世界大戦を皮切りに、世の終わりに向けて、陣痛が徐々に激しくなるがごとく、被造世界がうめいている。20世紀に入ってから、大飢饉、大地震、パンデミックなどが急増している。そのうめきのピークが、7年間の大患難時代である。 大患難時代では、世界戦争を始め、ありとあらゆる天変地異が起こる。この大患難時代の最後に、メシアの再臨が起こる。オリーブ山の説教では、このメシア再臨のしるしとして、大患難時代に起こる出来事が預言されている。

神は、なぜこのような「しるし」を人類に啓示されたのだろうか。それは、神が歴史を支配し、導いておられることを人間に知らしめるためである。そして、確かに神が預言なさった通りに歴史が進展していくことを目撃することを通して、私たちは神が神であられることを知り、神の偉大さを褒め讃えることになる。そのために、神はしるしを用意されたのだ。神が過去に預言なさったことは100%全て文字通りその通りに成就した。そうであれば、これから先に預言なさっていることも100%全て文字通りに成就すると信じるのが合理的な結論である。そのような信仰を持つ者にとっては、「しるし」は、その時代がどのような時代であるかを知るための極めて重要な情報となる。

このことは、自然界の中でも言えることである。例えば、いちじくの木の枝が柔らかくなり、葉が出てくると、夏が近づいていることが分かる。そのように、世の終わりのしるしが現れたら、世の終わりが近いことが分かるのである。先述した通り、2024年という今の時代は、世の終わりのしるしがことごとく成就した、終わりの中の終わりの時代であり、大患難時代を目前に控えた、差し迫った時代である。

そのことを受け止めた者として今なすべきことは、まずイエス・キリストの福音を信じて救われることだ。また、福音を一人でも多くの人に伝え、神が救いに予定されている人が全て救われるように祈ることだ。そして、いつメシアが再び来られても良いように、霊の目を覚まし、キリストの前に立つことができるように、清い生き方を求めていくことである。そのような者には、神からの祝福が与えられる。神が与えてくださったしるしを見分け、為すべきことを為す人生はなんと幸いなことか。

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