- 2026/07/01
- 神の招きへの応答
今、主を求めよ
"主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。"(イザヤ書 55章6節)
この御言葉を読んだ時に、何か胸に刺さるものはないだろうか。「お会いできる間に」「近くにおられるうちに」という言葉は、裏を返せば、そうでない時が来る、ということを示している。主を求めることのできる時間には、限りがある。頭ではわかっていても、どこかで「まだ大丈夫」と思ってしまう。それが人間の自然な感覚なのかもしれない。
ここ数年、世界の様子が変わってきたと感じる方は多いのではないだろうか。戦争のニュース、大きな地震、感染症の広がり。「まさかこんなことが」という出来事が、遠い話ではなくなってきている。命というものが、いかに私たちの手の届かない場所にあるか、そのことを肌で感じる機会が増えた今日この頃である。
聖書はこう言っている。「あなたがたは、明日のことは分かりません。あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です」(ヤコブの手紙 4章14節)。これは脅しではない。ただ、事実として、命に限りがあることを語っている。
そして聖書はこうも語っている。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙 9章27節)。死後にもう一度救いのチャンスが与えられるとは、聖書はどこにも教えていない。生きているこの時間の中にしか、信仰の決断の機会はない。だから「今」なのである。
もし今この文章を読んでいる方の中に、「いつか信じよう」と思い続けている方がいるなら、その「いつか」は永遠に来ないかもしれない。そうではなく、今日、この瞬間に、主に心を向けていただきたい。
信仰を持つ私たちにとっても、この御言葉は心に突き刺さる。伝道の場面を思い浮かべた時、あの人にいつか福音を伝えよう、と思い続けているうちに、機会を逃してしまったという経験はないだろうか。「今日が最後かもしれない」という思いを持って、聖霊が働いてくださるように祈りながら、いつでも語れるように備えておく。そういう日々の姿勢が、問われている。
最後にもう一度、イザヤ書 55章6節に戻ろう。「近くにおられるうちに」という言葉には、もう一つの光がある。神は今、私たちのすぐそばにおられる、ということである。遠い場所から裁いておられるのではなく、手が届くところで、私たちが神を呼び求めるのを待っておられる。
"神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。"(ヤコブの手紙 4章8節)
私たちが一歩踏み出すなら、神はその一歩に応えてくださる。この恵みの時代に、神はまだ忍耐して待っておられる。その恵みに、今日も信仰で応えていこう。