- 2022/12/26
わたしの人生も未来もイエスに支えられている!
森田 智美
今回、ヘブル人への手紙12 章1 節〜2 節を読ませていただいた時、メッセージステーショ
ンで講解メッセージを聞かせていただくことは多々あれど、この1 節、2 節に対してのみ、
立ち止まってじっくりと御言葉を味わうことができたのは、このように感想を書かせてい
ただく機会に与ったからに他ならず、神に感謝いたします。
しかも今回は、『忍耐のすすめ』でしたので、わたしにぴったりの箇所でした。
「信仰の創始者であり、完成者である」イエスさまが、信仰のレースを走ってくださり、
栄冠を勝ち得てくださった、という箇所の重みを噛みしめて行くとき、改めて神が、人と
なってくださり、へり下ってくださり、私たちと同じように弱い人間となってくださった
ことに、感謝を覚えました。罪こそ犯されなかったイエスさまですが、誘惑に遭ってくだ
さいました。
信仰のレースを走り抜ける時、絶対に自分1 人の力では100%無理です。
わたしの信仰の弱さも、罪深さも、人生における喜びも悲しみも、人となってくださった
イエスさまが、全てを自分以上に理解して哀れんでいてくださっており、そんなイエスさ
まが、わたしの人生の導き手であること、イエスさまが勝ち得られた栄冠は、十字架の上で、父なる神から見捨てられてくださった
という、最大の辱めを通られた先にあったのだということ、このイエスの御業に目を向けたとき、わたしがわたしである、という根本が悔い改まり、
自分という醜い我が小さくなっていき、こんなわたしを愛してくださるイエスさまで、い
っぱいになります。心のエンジンが新しくなってゆく思いです。
わたしの人生はわたしの力ではなく、一秒一秒この神なるイエスに支えられているのだと
いう確信に満たされた時、はじめて、『忍耐』を喜びをもって受け入れよう、という思いが
与えられます。わたしが何かを忍耐できた時、それは神の力なのですから、それこそが神
さまがわたしを助けてくださった証拠です。喜びの瞬間です。
試練がやってきた時、大半は見事に罪を犯し失敗するわけですが、『こんな弱い自分に、こ
んな試練が与えられ、逆に、わたしは神さまに信頼されたのだなぁ。』と、思い直し、
自分の罪から神視点に悔い改め、自分の成長をお委ねすることができます。だからこそ人
間にできる範囲の努力を精一杯しようという思いを与えられます。
わたしの罪は深すぎて、多すぎて書ききれません。ですが、十字架の御業によって、赦さ
れたわたしは永遠の命を持っています。本当に信じられない恵みです。どうかこれからも
神さまと共に歩めますように!