- 2026/08/01
- 福音の種まき / 教会
疲れることのない主に信頼して
今年も厳しい暑さが続いています。少し外に出るだけでも汗が流れ、体力が奪われます。「今日は何もしたくない」と感じる日もあるでしょう。私たちは年齢に関係なく疲れ、休息を必要とする存在です。
そんな中、私は今年から裏庭で家庭菜園を始めました。毎朝、野菜たちの様子を見回り、水やりをしたり、伸びすぎた枝を剪定したりしています。そして毎日のように驚かされることがあります。それは、一晩で見違えるほど野菜が成長していることです。昨日は小さかった実が大きくなり、新しい葉やつるが勢いよく伸びています。
もちろん、私が夜中に畑へ出て世話をしているわけではありません。私が眠っている間も、神が太陽の光を与え、水を巡らせ、目には見えないところで野菜を育て続けてくださっているのです。私にできるのは、水をやり、枝を整え、環境を整えることくらいです。しかし、本当に成長させておられるのは神です。
このことを思うたびに、教会の働きも同じだと教えられます。私たちは福音を語り、祈り、奉仕をします。しかし、人の心を開き、信仰を育て、実を結ばせるのは聖霊なる神です。私たちは神の御手に用いられる器にすぎません。
イザヤ書40章は、本来、バビロン捕囚という苦難の中で疲れ果てるイスラエルに向けて語られた慰めの預言です。契約を決して忘れない神は、ご自身の民を最後まで導き、約束された御国を実現されます。神は疲れることなく、ご計画を一歩も狂うことなく進めておられるのです。
教会はイスラエルとは区別される存在ですが、この「疲れることのない神」のご性質は、私たちにとっても大きな励ましです。主は今も生きて働いておられ、ご自身の教会を建て上げ続けておられます。私たちには見えなくても、神の働きが止まることはありません。
だからこそ、私たちは自分の力だけで頑張ろうとする必要はありません。「自分が何とかしなければ」「もっと頑張らなければ」と思うと、奉仕は次第に重荷になってしまいます。しかし、本当の働き手は聖霊です。私たちは主に信頼し、与えられた役割に忠実であればよいのです。
そのように神により頼むとき、私たちは自分では決して生み出せない神の御業を見ることになります。一人の救いが家族へと広がることもあります。一つの祈りが思いもよらない形で答えられることもあります。人間の力では説明できない出来事を、神は今も行っておられます。
私たちの周りには、まだ福音を知らない方が大勢おられます。収穫を待っている畑は、目の前に広がっています。だからこそ、恐れることなく、一歩ずつ前進していきたいと思います。私たちが種を蒔き、水を注ぐとき、神は最も良い時に実を結ばせてくださいます。
そして今、世界の出来事を見るとき、聖書が語る終わりの日が着実に近づいていることを感じます。教会に約束されている携挙の日は、確実に近づいています。地上で主に仕えることのできる時間は永遠ではありません。
だからこそ、この暑い夏も、疲れることのない主に信頼し、主から力をいただきながら、それぞれに委ねられた使命を忠実に果たしていきましょう。私たちの働きの主体は神ご自身です。そのことを忘れず、神がこれから見せてくださる、私たちの想像をはるかに超える御業を期待しつつ、地上生涯の最後の日まで共に走り続けてまいりましょう。