- 2024/10/01
- 携挙
聖書が語る「奥義」を伝授致す。
「奥義」と聞くと、何やら「北斗百裂拳」のような必殺技をイメージするかもしれない。しかし、聖書が語る奥義とは、そのような類のものではない。聖書で言う「奥義」とは、旧約聖書では啓示されていなかった真理のことである。新約聖書になって、使徒たちを通して初めて明らかになった真理を奥義という。では、奥義にはどのようなものがあるか。例えば、奥義としての王国、イスラエル人の一部が頑なになった理由、教会とキリストの関係などがあるが、今回、皆様に伝授したい奥義は「携挙」である。
携挙とは、教会が天に上げられることを言う。これを聞いて、教会堂の建物が空に浮かんでいる映像を思い浮かべた方がおられるかもしれない。そうではない。ここで言う「教会」とは、「普遍的教会」、つまり、紀元30年のペンテコステの祭りの日に聖霊が降臨して以降、携挙が起こる日までの間にイエス・キリストを信じて救われた信者の集合体のことである。この時、既に死んでいた信者は、栄光のからだに蘇り、生きている信者は、生きたまま栄光のからだに変えられる。そして、空中で主イエス・キリストに会い、そのまま神がおられる第三の天に連れて行って頂ける。
今私たちが持っている肉体は、地上で生活するのに適した体であるのに対し、「栄光のからだ」は、天で生活するのに適した体である。地上の体は死ぬと朽ちるが、栄光のからだは死ぬことがなく朽ちることはない。イエス・キリストを救い主として信じた者は、永遠のいのちが与えられているので、永遠に生きられる体が与えられるのだ。その体が与えられるのが、携挙の時である。携挙こそ、私たちクリスチャンが抱いている復活の希望が成就する瞬間なのである。
携挙がいつ起こるか、誰も知らない。主イエス・キリストでさえ知らない。父なる神だけがご存じである。今日かもしれない、明日かもしれない、1000年後かもしれない、しかし、神の時が来たら直ちに起こるのが携挙である。ただ、この携挙は、7年間の大患難時代が始まる前に起こることだけは、聖書から明確に教えられている。そして、今の世界情勢を見た時に、その大患難時代がもう目の前まで迫っていることが、肌感覚として感じられる。ということは、大患難時代の前に起こる携挙の時まで、あとわずかだということになる。
携挙は、異邦人(非ユダヤ人)の救われる数が満ちた時に起こる。つまり、携挙に与ることができる最後の一人が救われた時、携挙が起こるのだ。これは、ノアの箱舟の戸が閉じられた時、地球全体を覆う大洪水から守られる者と、そうではない者が分けられたのと同様である。今、イエス・キリストという箱舟の扉は開いている。そして、まだイエス・キリストを信じて救われていない人が箱舟に入るのを神が忍耐を持って待ってくださっているのだ。この箱舟に乗り損なった者は、前代未聞の天変地異、世界戦争、大飢饉、疫病などで人類の大半が死に絶える大患難時代を通過しなければならない。そんな目に遭う前に、救いを受け取って、共に携挙に与ろうではないか。救われるために必要なことは、以下の福音の3要素を信じるだけである。
福音の3要素
①創造主なる神が人となられたイエス・キリストが、あなたの罪を贖うために身代わりとなって十字架で死んでくださったこと。
②また、墓に葬られたこと。
③また、三日目に蘇られたこと。
そして、復活されたイエス・キリストは、今も生きてあなたを救うことができる救い主であると信頼した時、あなたの罪は全て赦され、永遠のいのちが与えられ、携挙の時に栄光のからだを頂き、天に上げられるのだ。
永遠の滅びである地獄に行くのか、それとも、永遠の祝福である天国に行くのか。その分かれ目は、福音の3要素を信じて、神に信頼するかどうかである。是非、このグッドニュースを信じ、携挙という最大の奥義を受け取って頂きたい。