- 2022/2/01
- 神が人と結ばれた契約
神が人と結ばれた契約(5)
シナイ契約締結に至る文脈
神はアブラハムという一人の人を選んで神の民であるイスラエル民族を生み出されました。アブラハムの後、イサク、ヤコブ、12人の息子たちという形で、イスラエル民族は成長してきたのですが、まだ70人ほどというすぐに断ち消えてしまいそうな状態でした。
そこで、彼らが異民族からの影響を受けずに純粋培養されながらその数を増やすために、神は彼らがエジプトのゴシェンの地で生活するように導かれました。神はアブラハム契約の故に、彼らを守られたので、その数はみるみる増えていきました。そのことに恐れを感じたエジプトの王は、彼らを奴隷として苦しめるようになりました。
彼らは400年間奴隷として苦しむのですが、神から召命を受けたモーセという人物によって、約束の地へ帰還するためにエジプトから脱出しました。そんな彼らに、神によって救われた民として如何に生きるべきかという指針として、「モーセの律法」が与えられました。このモーセの律法をもとに神とイスラエルの民の間で結ばれたのが、シナイ契約です。
シナイ契約の概要
シナイ契約の当事者は、神とイスラエルの民であり、モーセがその仲介者となりました。その内容は、出エジプト記20:1から申命記28:68まで続く、実に広範囲に及ぶものです。このシナイ契約の主要な条項は、モーセの律法であり、合計613の具体的な規定から成っています。モーセの律法は、その内訳は、365が禁止令、248が積極的命令となっていますが、その一つでも破ると律法全体を破ったことになるという性質を持っています。また、シナイ契約は条件付契約であり、モーセの律法に従順な者には祝福が与えられ、不従順な者には呪いが下るという原則があります。
シナイ契約の条項
上記の通り、モーセの律法は613もありますが、重要なポイントは以下のとおりです。
(1)血のいけにえの重要性
モーセの律法には5種類の捧げ物が定められています(レビ1〜7章)。この規定に従って動物の血を流すことで、「罪を覆う」ができますが、罪を除くことはできませんでした。キリストの血だけが罪を除くことができるのです。
(2)食物規定に付加された制限
食べても良い動物は、ひづめが分かれ、反芻するものに限定されました。魚はひれと鱗を持つものに限られ、鳥は猛禽類が禁じられ、昆虫は特定の種類のイナゴに限定されました。
(3)死刑の拡大
ノア契約では、殺人だけが死刑の対象でしたが、偶像礼拝、姦淫、神に対する冒涜、父母に対する冒涜、安息日を破ること、魔術を行うこと、などが死刑の対象となる罪として加わりました。
(4)割礼の命令
割礼は、アブラハム契約のしるしとして与えられた命令でしたが、モーセの律法への従順を示す手段として再度命じられました。
(5)安息日
週の七日目を安息日として、この日にはいかなる仕事もしてはならないと命じられました。この安息日は、シナイ契約のしるしであり、イスラエルが神によって選び分けられたこと、また、出エジプトの出来事によって奴隷から自由人になったことを記念するものです。
モーセの律法の目的
モーセの律法は、救いの手段として与えられたものではなく、エジプトから贖い出された人々に与えられたもので、その目的は以下のとおりです。
(1)神の聖さを示すこと、また、神との正しい関係を保つために人が満たすべき義の基準を示すこと。
(2)旧約時代の聖徒たちに生活規範を与えること。
(3)イスラエルの人々に、個人及び集団で礼拝を捧げる機会を与えること。
(4)ユダヤ人を他の民族から明確に区別すること。
礼拝の習慣、食習慣、性的習慣、衣服に関する習慣、髭の切り方など、様々な形でユダヤ人は他の民族から区別されました。
(5)「隔ての壁」となること。
モーセの律法は、ユダヤ人に与えられている霊的祝福に異邦人が与ることのないように、両者を区分する「隔ての壁」となりました。しかし、キリストの十字架によってこの「隔ての壁」は打ち壊されました。
(6)罪を明らかにすること。
律法というルールが与えられることによって、人は自分が罪を犯したことを知ることができます。
(7)より多くの罪を人に犯させること。
罪人は、数々の掟が与えられると、より多くの罪を犯したくなる性質を持っています。
(8)罪人を信仰に導くこと。
律法によって罪が明らかになり、またより多くの罪を犯すことによって、人は自らの行いで神に義とされることは不可能であると悟ることができます。よって、キリストを信じる信仰によって、救われる必要性を認識するようになります。つまり、律法は、人をキリストへと導く養育係としての機能を果たしたのです。
モーセの律法からの解放
新約聖書は、モーセの律法がキリストの死とともに無効になったと、はっきり教えています(ロマ7:5~6、10:4、ガラ3:19、3:23~4:7、ヘブ7:11~18、8:8~13、エペ2:14~15、2コリ3:2~11)。すなわち、キリストを信じる者は、モーセの律法から解放されているのです。今の新約時代に生きる私たちは、キリストの律法(1コリ9:21、ガラ6:2)において具体的に示されている規定に従って生きることが求められています。このキリストの律法は、モーセの律法とは完全に別個の新しい律法であり、キリストおよび使徒たちから与えられた個々の命令がすべて含まれています。 シナイ契約から学ぶ神のご性質 シナイ契約から私たちは、神の義、聖、そして愛を学ぶことが出来ます。 モーセの律法で定められた厳しい規定の数々は、一見すると窮屈に感じるかもしれませんが、痒いところまで手の届く、きめ細やかな配慮を感じます。また、モーセの律法は、私たちが救われるためにまず必要な認罪、つまり、自分は罪人であり、神によって罪赦され、救われる必要があることを認識させてくれます。それによって、キリストを信じる信仰へと導かれて、永遠のいのちへと至るのです。そして、神に従順になることで得られる祝福を体験的に理解させてくれるのです。 モーセの律法は人をキリストへと導く養育係であるとは、本当に言い得て妙であり、神が幼子である人間を成長させる愛がこのモーセの律法に表されています。私たちは今、キリストの律法の下に置かれていますが、キリストの律法で教えられている神の命令に従順に従って、神から与えられる祝福に満ちた人生を歩んでいこうではありませんか。