- 2022/03/01
- ヤベツの祈り
歴代誌第一4章9〜10節「ヤベツの祈り」
「ヤベツは彼の兄弟たちの中で最も重んじられた。彼の母は、『私が痛みのうちにこの子を産んだから』と言って、彼にヤベツという名をつけていた。
ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。『私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。』神は彼の願ったことをかなえられた。」(歴代誌第一 4章9~10節)
2022年度広島平和教会テーマ聖句の背景
広島平和教会の過去を振り返ると、昨今は、非常に閉鎖的でかろうじて存続してきた内向き指向な状態だった。しかし、去年から広島聖書フォーラムとして聖書フォーラム入りしたことなど、体勢が整い、いよいよ外を見ることができる、いわば地境を広げることができるようになってきた。今までは教会内の垂直の成長しか考えて来なかったが、水平の成長を考えることができるようになってきた。与える地境も、受ける地境も広がり、伝道の地境も、各聖書フォーラムとの自立と共生の関係も広がってきた。そのような中、歴代誌第一4章9〜10節「ヤベツの祈り」を2022年度広島平和教会のテーマ聖句とした。
歴代誌第一とは
歴代誌第一と第二は、元は一巻の書であったが、後にギリシア語訳聖書である七十人訳聖書で2分割された。著者は不明であるが、ユダヤ人の伝承ではエズラであるとされている。執筆年代は、バビロン捕囚以降であり、ヘブル語聖書の最後の書である。歴代誌の最初の9章の内容は、系図が中心となっている。バビロン捕囚によって散らされたユダヤ人にとって、王家の家系と祭司の家系を再確認する必要があった。そこで、歴代誌では、ユダ(南王国)におけるダビデ王朝の家系の確認、および、レビ族の家系の確認に強調点が置かれている。この系図によって、ユダ族とダビデが神によって選ばれた器であることが証明されている。
歴代誌第一を読み始めると、アダムから始まり、カタカナの名前の羅列が延々と続いている。これはマタイの福音書1章の比ではない。ただ漠然と読むと右から左に抜けてしまうが、中心人物を踏まえると読み方が変わってくる。1章1〜4節はアダム、1章5〜16節はヤフェテとハム、1章17〜27節はセム、1章28〜34節はアブラハムなど、中心人物を元に、塊として読むと、情報が整理される。そして、2章3節からユダの系図が始まって、ユダの息子ペレツの系図、ペレツの息子ヘツロンの系図と続く。ヘツロンの息子のうち、ラムから続く子孫の中にダビデが登場する(2章15節)。その後も、ヘツロンの系図が延々と続くが、3章に入ると、ダビデの系図が挿入句のようにして現れる。これにより、ダビデがペレツ-ヘツロンのラインから出ていることが示されている。また、ダビデの子孫たちも、先祖を辿ればユダにまで遡ることを確認することができる。
ヤベツの祈りに込められた意義
4章に入ると、再びユダの系図が始まる。そして、9節にヤベツという人物の名前が現れるが、ヤベツは誰の子という記載がなく、唐突にその名前が出てくる。つまり、ヤベツの系図は明示されていないのである。このヤベツに関しては2節に渡って説明が書かれている。それまでの系図では、単に名前が出てくるだけで、説明文はほとんどなかっただけに、ヤベツは特別扱いされていることが分かる。では、ここで歴代誌第一4章8〜9節を紹介する。
「ヤベツは彼の兄弟たちの中で最も重んじられた。彼の母は、「私が痛みのうちにこの子を産んだから」と言って、彼にヤベツという名をつけていた。ヤベツはイスラエルの神に呼び求めて言った。「私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。御手が私とともにあってわざわいから遠ざけ、私が痛みを覚えることのないようにしてください。」神は彼の願ったことをかなえられた。」
ヤベツという名は「痛み」「悲しみ」に由来している。そのヤベツが神の偉大さを知って、地境を広げる祈りをした。これは、彼が持つ大きな神概念に基づく、信仰の祈りであった。その祈りは神の御心にかなったものであったので、神は彼の願ったことをかなえられたのである。
広島という街も、広島平和教会も悲しみや痛みを通過して、次に地境を広げる段階に来ている。自分が理解している神の領域を広げることが、自分の地境を広げることに繋がる。
神の偉大さを発見すると、それが祈りに繋がり、献金に繋がり、伝道につながっていく。痛みの中を通過した子どもが一番愛され、重んじられているのだということの確信を深める一年にしたい。その思いから、2022年度の広島平和教会のテーマ聖句を「ヤベツの祈り」とした。
私が期待する地境の広がり
ヤベツの祈りは、繁栄の神学という文脈の中で語られることが多いが、それは誤解に基づくものである。ヤベツは、自己中心的な思いで地境が広がるように祈ったのではなく、神の御心を求め、自らの地境が広がることを通して、神の偉大さが現されることを願ったのである。私は、広島平和教会の伝道師として、去年6月から活動を始めさせて頂いている。それから約9ヶ月が経ったが、当初想像すらしなかったような展開に驚いている。
最初は、広島平和教会の教会員のみを対象とした読書会から始まった。その後、10月からは毎月1回日曜礼拝でメッセージをさせて頂くようになった。また、オカリナ賛美の動画も作成し、オカリナの調べに合わせてショートメッセージを書かせて頂くようになった。YouTubeを通して少しずつメッセージを見てくださる方が増え、この働きを主が豊かに用いて祝福してくださっていることを感じている。これからも広島平和教会から全国へ、世界へと神のメッセージが届けられるよう、「地境を広げてくださいますように」と祈り続けていきたい。それが、神の御心であると堅く信じ、これからも福音を宣べ伝え続けていきたい。今年一年が終わった時に、やっぱり神は偉大なるお方である、ということを再発見できることを期待している。