- 2023/07/01
- 霊的成熟
舌を制御する者が、人生を制す
「口は災いの元」と良く言うが、これは非常に聖書的なことわざである。新約聖書の一つ、ヤコブの手紙は、「舌」が如何に恐ろしい力を持っているかを教えている。昨今のニュースを見ると、失言によって社会的信用を失い、人生のどん底に落ちていった人が後を絶たない。特に失言で失脚する政治家は数えきれないほどいる。私たちにおいても、つい放ってしまった一言によって、友人関係、夫婦関係に亀裂が生じてしまったという経験をした人は少なくないだろう。今回は、ヤコブの手紙から、舌を制御し、人生を制するためにはどうすれば良いかについて学んでみたい。
舌は身体の中では非常に小さい器官であるが、非常に大きな力を持っている。それは、馬とくつわの関係に似ている。くつわとは、馬を御すための馬の口に含ませる小さな金具のことである。つまり、大きな馬のからだの動きを、小さなくつわによってコントロールできるのだ。また、船が強風を受けていても、ごく小さい舵によって、思い通りの場所に導くことができる。あるいは、タバコ1本の消し忘れによって大火事になる。このように、舌は小さい器官であるが、私たちの人生を大きく動かし、また、焼き尽くす力がある。このような舌を、ヤコブの手紙は「火」「不義の世界」「休むことのない悪」「死の毒で満ちている」という言葉で形容している。このことから、舌を制御することがいかに難しく、また、重要であるかが分かる。
では、どのようにしたら舌を制御できるのだろうか。ヤコブの手紙3章2節では、「もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です」と書かれている。つまり、完全な人だけが舌を制御できるということだ。ここでの「完全な人」とは、罪を犯さない人、霊的成熟という目標に達した人のことを言う。そのような人がこの世に存在するだろうか。
3章8節に「舌を制することができる人は、だれもいません」とある通り、そのような完全な人はこの世に存在しない。ただ一人、イエス・キリストだけが、ことばで過ちを犯さず、からだ全体も制御したお方である。これは、ペテロというイエスの弟子の以下の証言から明らかである。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことを
せず、正しくさばかれる方にお任せになった。」 ペテロの手紙第一2章22~23節
このように、イエス・キリストだけが完全な人であり、イエス・キリストこそが舌を制御することができる私たちの模範である。では、イエス・キリストと私たちの違いとは何であるか?イエス・キリストは、神であるお方が人となられたお方であり、罪が全くない。それに対し、私たちは、アダム以来の罪の性質(原罪)を持っている罪人である。この罪の影響下にあるため、私たちは舌を制御できなくなっているのだ。それゆえ、私たちは自分の力で舌を制御することは不可能なのだ。
また、私たちが生きている地上の世界は、悪魔が支配している。この世は、進化論的世界観に基づいて、弱肉強食、適者生存を謳っているため、世の人々の心の中は、苦々しい妬みや利己的な思い、自慢などで満ちている。このような心を持った結果、秩序の乱れやあらゆる邪悪な行いが生じるのだ。このように、人々の内側にある思いが外側に行為として現れ、また、言葉として舌から出てくるのだ。よって、舌を制御するためには、内側の心が変わらなければならない。
先ほども述べたが、私たちは原罪があるために、自分の力で心を変えることはできない。しかし、神に不可能はない。神は超自然的力によって、私たちが舌を制御することを可能としてくださる。この神の力を受けて、舌を制御するためには、イエス・キリストを救い主として信じ、霊的に新しく生まれること、そして、その瞬間に心の内側に入ってくださる聖霊の助けを受ける必要がある。私たちが聖霊の助けを求めて祈った時、聖霊は私たちの心の内側から働いてくださり、私たちの心を、神に属すること(純真、平和、寛容、温順、あわれみと良い実で満ちていること、えこひいきがないこと、見せかけがないこと)で満たしてくださる。その結果、私たちの舌が制御され、私たちは平和を作る人々となり、神の目にかなった永遠に価値ある成果、つまり、義の実を結ばせる種を蒔くことができるのだ。
義の実の中でも最大に価値があるのは、人の救いである。私たちクリスチャンは、その義の実の種を蒔く、すなわち、福音のことばを語るという重要な役割を担っている。この使命を果たすためには、聖霊の力を求めて祈ることが欠かせない。そして、この世の価値観に染まるのではなく、神の価値観、聖書的価値観に立って、聖書の御言葉から神に関する知識を日々更新していく必要がある。そのようにして徐々にキリストに似た者と変えられ、舌を制御していくことで、人生を制すことができるのだ。