- 2021/08/01
- 救い
神の子とされた私たちの未来
神の子とされた私たち
イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また三日目によみがえられたことを信じ、イエス・キリストをそのようなお方として信頼した時、私たちの全ての罪が赦され、私たちは神の子とされました。そして、神の子とされた瞬間に私たちの心の中に住んでくださっている聖霊の力によって、私たちは罪の力から解放され、徐々に神の子として相応しい生き方をすることができるようになります。
では、神の子とされた私たちに待っている未来とはどのようなものでしょうか。
携挙
私たちは近い将来、突然この地上から天に携え挙げられます。これを携挙と言います。瞬きするよりも早く、一瞬のうちに、私たちの体は「栄化されたからだ」に変えられます。
このからだを持った私たちは、もはや死ぬことはなく、罪を犯すこともできなくなります。このからだは聖書の中で様々な言葉で表現されており、例えば「朽ちないもの」、「栄光あるもの」、「力あるもの」、「御霊のからだ」、「天に属する方のかたち」などと呼ばれています。もし、携挙の時に肉体が死んでいたとしても、復活して、栄化されたからだに変えられるのです。そして、雲に包まれて引き上げられ、空中でイエス・キリストと会うのです。
キリストの御座の裁き
その後、私たちは、「キリストの御座の裁き」を受けます。裁きと聞くと、何か罰せられるような気がしますが、そうではありません。このキリストの御座の裁きとは、私たちが受けるご褒美を決めるための裁きなのです。つまり、私たちがイエス・キリストを信じてから、いかに神の御心に沿って歩んできたかに応じて、報いを受けることができるのです。この判断基準は、働きの量ではなく、質です。
御霊の思いでなされた働きは、金、銀、宝石であり、肉の思いでなされた働きは、木、草、藁です。後者は火で焼かれると何も残らないのに対し、前者は火で焼かれることでより純度が増します。そして、私たちは、働きに応じて報奨をいただけるのです。
天での結婚式とキリストの再臨
キリストの御座の裁きという名の清めが終わった後、花嫁たる私たちは、花婿たるイエス・キリストと天で結婚式を挙げるのです。この間、地上では、七年間の大患難時代という、未曾有の苦難の時を迎えています。
反キリストという人物が世界を支配し、様々な天変地異、世界戦争、悪霊による攻撃が人々を襲います。その最後の最後、ユダヤ人がついに民族的に、イエス・キリストこそ救い主であることを認め、イエスの再臨を求めて「祝福あれ、主の御名によってこられる方に」と祈ります。その時、イエス・キリストは、私たちと共に再び地上に戻り、反キリストの軍勢及び不信者を滅ぼします。その後、地殻変動が起こり、地上がかつてのエデンの園の状態に回復されます。
千年王国と白い御座の裁き
再臨されたイエス・キリストが王となられ、地上を1,000年間支配されます。その時、私たちもキリストのもとで割り当てられた地を治めるようになります。この1,000年間、悪魔はハデス(よみ)にあるアブソス(底知れぬ所)という場所に閉じ込められます。
また、悪霊たちはバビロン、または、エドムに幽閉されます。しかし、この千年王国で生まれる人間は原罪がまだ残っているので罪を犯すのです。そして、1,000年の終わりに悪魔が解き放たれた時、海の砂ほどの多くの不信者が悪魔に惑わされてエルサレムを包囲しますが、彼らは天からの火で焼き尽くされます。その後、悪魔は火の池に投げ込まれ、すべての時代の不信者が「白い御座の裁き」を受けます。白い御座の裁きで罪の軽重が決められた不信者は、火の池に投げ込まれ、永遠に苦しむことになります。
永遠の秩序
私たち信者は、白い御座の裁きを免れ、新しい天と新しい地で、神と共に永遠に安らぐことができます。この新天新地は、今私たちが生きている天地とは全く異なり、新しく創造されるものです。そして、天のエルサレムが花嫁のように整えられて新地に降りてくるのです。
この聖なる都エルサレムは、1辺の長さが2,200キロメートル以上の立方体で、碧玉で造られた城壁や巨大な真珠で作られた門があり、大通りは透明なガラスのような純金でできています。この都は神の栄光が満ちており、その輝きによって照らされるので、太陽や月もなくなります。都の大通りの中央にはいのちの水の川が流れ、その両岸にはいのちの木があります。なんと素晴らしい世界でしょうか!私たちに約束されている未来はこんなにも輝かしいのです!この希望を見上げ、神の子にふさわしい生き方をしようではありませんか!