メッセージテーマ「聖餐式」



  • 2023/08/01
  • 聖餐式

神の恵みを思い出す

イスラエルには過越の祭りや、五旬節の祭り、仮庵の祭りなど、様々な祭りがあるが、これは神がイスラエルの民にしてくださった偉大な御業をいつまでも覚えるために行っている。では、イスラエルの祭りのうち、どれが一番大事な祭りであるかご存じだろうか。実は、安息日がイスラエルにとって最も重要な祭りなのだ。安息日は、イスラエルの民がエジプトで奴隷であった状態から解放され、自由の民となったしるしとして与えられた。奴隷に休日はないが、自由人は週に1回休むことができる。安息日は、神が自分たちを解放してくださったことを覚え、休む日である。毎週土曜日の安息日がイスラエルの民にとってどれほど重要かというと、安息日に休むことをせず労働した者は死刑に処せられるというほどに重要なのだ。この安息日の規定が、イスラエルの民、すなわち、ユダヤ人のアイデンティティとなった。それゆえ、紀元70年にエルサレムが陥落して、ユダヤ人が世界中に離散しても、ユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを失わずに民族性を保つことができた。その結果、1948年にイスラエル国が再建されるに至った。このように安息日がユダヤ人を守ったのだ。

実は、安息日のように、クリスチャンの信仰やアイデンティティを守ってきたものがあるが、それは何だと思われるだろうか。様々なものが考えられるが、最も重要なものの一つが、聖餐式である。聖餐式とは、パンとぶどう酒に与ることであるが、なぜそれがそんなに重要なものであるかをこれからご説明したい。

聖礼典
聖餐式は、聖礼典の一つである。聖礼典とは、キリストによって行うことが命令されているもののうち、使徒の働きの中で実際に実行されており、書簡の中で詳しく解説されている儀式のことである。この条件を満たす聖礼典は、洗礼式と聖餐式しかない。

聖餐式を指す用語
聖餐式という言葉そのものは聖書の中に出てこないが、英語圏では7つの用語が存在する。
①主の晩餐(The Lord’s Supper)
②主の食卓(The Table of the Lord)
③パンを裂く(the breaking of bread)
④ユーカリスト(The Eucharist)(感謝という意味)
⑤ユーロギア(The Eulogia)(祝福という意味)
⑥コミュニオン(Communion)(交わりという意味)
⑦ミサ(The Mass)
これらのうち最初の6つは聖書的であり、言葉の意味の違いを理解することによって、聖餐式が持っている意味の多様性を捉えることができる。しかし、7つ目のミサは、聖書とは無関係の言葉であり、キリストの体を毎回犠牲にするという意味を含んでいる。

聖餐式の意味
聖餐式の意味に関して伝統的に4つの神学的立場があるが、最初の3つは聖書的ではない。
①化体説
これはカトリック教会の立場であり、司祭の聖別の祈りによって、パンとぶどう酒が実際にキリストの体と血に変化すると考えている。つまり、ミサの度にキリストが犠牲になっているということである。最後の晩餐の時に、イエス・キリストが「これはわたしのからだです」「わたしの血」と語られたが、これはイエスがまだ生きている時に語られたものであり、パンとぶどう酒がイエスの実際のからだや血に変わったとは言えない。また、化体説は、イエス・キリストの死は一度限りで完璧なものであったことを否定しているため問題がある。

②実体共存説
これはルター派と聖公会の立場であり、パンとぶどう酒の実体は変化しないが、キリストのからだと血の実体が、パンとぶどう酒の中に共存すると考えている。結局は、キリストのからだと血の実体が物理的にそこに存在することになるため、化体説と同じことである。

③霊的存在説
これはジョン・カルバン(改革派)の立場であり、キリストのからだと血は、パンとぶどう酒の中に物理的ではなく、霊的に存在していると考えている。
これは聖餐式そのものを恵みの方法(救う力がある)と考えている結果出てくる説である。しかし、イエスのことばはこの説を支持していない。

④記念説
これはツウィングリ(スイスの宗教改革者)が提唱した最も聖書的な立場であり、聖餐式は、イエスを記念するために行うものであるという考えである。「わたしを覚えて、これを行いなさい」(ルカ22:19、1コリ11:24〜25)とあるように、イエスを記念するために行うのが聖餐式である。

聖餐式の目的
①キリストを記念する(思い出す、覚える)こと
聖餐式は、キリストのいのち(パン)、死(ぶどう酒)、復活と今ある臨在(式そのもの)を思い出すためのものである。

②キリストの一度限りで完璧だった死を宣言すること
コリント人への手紙 第一 11章26節
"ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。" とある通り、聖餐式はキリストの死を告げ知らせるために行うものである。

③キリストの再臨の保証
マタ26:29で、イエス・キリストは、父の御国で新しく飲む日が来る、と将来の預言を語っておられる。これはキリストの再臨があって以降、メシア的王国において再臨のキリストと共に聖餐式に与るようになるということである。また、上記1コリ11:26で「主が来られるまで」とあるように、聖餐式はキリストの再臨まで続けられるが、それはキリストの再臨が確実に来ることの保証となっている。

④キリストとの交わり、信者との交わりの時
コリント人への手紙 第一 10章16節
"私たちが神をほめたたえる賛美の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。" 「あずかる」という言葉が英語のCommunionであり、交わりを意味している。聖餐式は、信者たちが共にパンとぶどう酒に与る交わりの時である。また、キリストを記念する式の中に、キリストの臨在があり、キリストとの交わりが可となる。

参加資格
①新生体験
イエス・キリストを信じて霊的に生まれ変わっていることが、聖餐式を受ける条件である。信者でない人に、意図的に聖餐式のパンとぶどう酒を与えてはならない。また、未信者が聖餐式のパンとぶどう酒を受けても何の意味もない。なぜなら、パンとぶどう酒には何の力もないからである。救いの御手は、全ての人に等しく差し出されているので、これは差別ではない。

②水の洗礼
水の洗礼を受けていることが聖餐式の参加条件かどうか、聖書は曖昧である。当時は、信じる前から旧約聖書の知識があり、洗礼の意味も理解していたため、信じた日に水の洗礼を受けていた。よって、聖餐式に参加する人は皆、水の洗礼を受けていた。しかし、今は、洗礼に関する混乱や無知が横行しているので、洗礼前に準備の学びをすることが一般的である。よって、信じてから洗礼を受けるまでの間に聖餐式の機会があることがあり得る。この点、聖餐式は、恵みの儀式であり、信じた人を排除する理由は何もないため、水の洗礼を受けていなくても、信仰が確認されるなら参加しても良いと考えられる。

③自己吟味
聖餐式に参加するにあたって、受ける側の準備が必要となる。知っている限りの罪を告白し、パンとぶどう酒が象徴していることを確認し、自らの歩み(キリストに従って歩んできたか、霊的に成長してきたか)を確認し、主がしてくださったことへの感謝と畏怖の念を抱き、心を整えてから望む必要がある

パンとぶどう酒に力があるのではなく、受ける側の自己吟味が聖餐式に意味を与えるのである。また、自己吟味をせずに聖餐式に与ることに対し、1コリ11:29〜31でパウロは警告を与えており、自己吟味せずに聖餐式に与った結果、身に呪いを受けてしまった人の例が挙げられている。

聖餐式の形態
①場所
聖餐式は、共同体として行う聖礼典であり、コミュニオン(交わり)であるため、教会(信者の群れ)が集まった場で行う必要がある。最後の晩餐は、過越の食事であり、グループで食されていた。

②パン
聖餐式で使うパンは、種なしパンである。パン種は、罪の象徴であり、過越の祭りでも種なしパンが使われていた。また、イエスの体は、罪のない体である。

③ぶどう酒
赤は血を象徴しているため、赤ワインを用いるのが聖書的である。ただし、赤ワインを飲めない人のために、グレープジュースを用意することは許容される。また、ぶどう酒は新しい契約のしるしである血を象徴している。

以上のように、聖餐式は、キリストの十字架の御業、新しい契約に加えられたこと、キリストの再臨という神の恵みを思い出し、私たちの信仰を確認する儀式である。聖餐式に与る時は、これらの意義をしっかりと確認した上で臨み、神の恵みを体験しようではないか。

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