メッセージテーマ「神に喜ばれる生き方」



  • 2025/10/01
  • 神に喜ばれる生き方

忠実たれ

自分は何のために生まれ、何のために生きるのかを知ることは、 豊かな人生を歩むために欠かせない。もしその答えがないまま生き るなら、それは目的地のない航海を続け、やがて大波に翻弄されて 行き場を失ってしまうようなものだ。

私たちを造られた神は、そのような人生を望んではおられない。 むしろ神は、私たちが自分の存在の意味を知り、祝福に満ちた人生 を送ることを願っておられる。そのために神は、私たちの航海を導 く灯台を与えてくださった。それがイエス・キリストである。

イエスは3年半にわたる公生涯において、多くの生きる指針を示して くださった。その指針に従うことで、私たちは神が与えてくださる 祝福の中を歩むことができる。その一つの指針が、「ミナのたとえ 話」に示されている。

ミナのたとえ話が教えているのは、「小さなことに忠実であること」 の大切さである。私たち一人ひとりには、神から特別な役割が与え られている。役割の内容や大きさには違いがあるが、神が求めてお られる忠実さの点では誰も変わらない。大きな務めを担うことが偉 いのではなく、与えられた役割を誠実に果たすかどうかが問われて いるのだ。

忠実に生きた者には、神からの報いが約束されている。それは「冠」 という将来の報いにとどまらず、何よりも「よくやった、良いしも べだ」という神からの言葉をいただけることだ。その瞬間を楽しみ に生きることこそ、イエスを信じる者の動機づけとなる。たとえ人 から誤解され、馬鹿にされたとしても、神の前に正しく歩み、与え られた務めを忠実に果たす時、私たちはこの世では得られない満た しと喜びを経験する。

神は、小さなことに忠実なしもべには、より大きな役割を与えて くださる。まるで「わらしべ長者」の物語のように、始まりは小さ くても次第に大きくされ、ついには偉大な働きを担わせてくださる。 ただしそれは偶然ではなく、神ご自身の御業によるものである。 信仰の父アブラハムも最初の一歩は「カナンの地へ行く」という 小さな従順であった。しかしやがて神と契約を結び、全世界に祝福 をもたらす器とされた。

私たちもまた、神がどのような務めを与えてくださるかを期待しな がら、目の前の小さなことに忠実に生きていこうではないか。

  • 2023/01/01
  • 神に喜ばれる生き方 / 携挙

終わりの時代の中の、終わりの時代

ハレルヤ!新年明けましておめでとうございます。
2024年も、神の誤りなきことばである聖書を正しく学び、神の御心に沿った日々を送って参りましょう。年の始めに、私たちが守るべき大切な教えを確認したい。

ローマ人への手紙 12章1~2節
"ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。"

私たちは、生まれながらに御怒りを受けるべき器であるにも関わらず、神の恵みによって、イエス・キリストを信じる信仰によって、罪赦され、永遠のいのちが与えられた。この恵みを受け取った者として出すべき合理的結論は、全的献身である。全的献身とは、自発的に、喜んで、自分の全存在をかけて、神の御心を行う器として生きることである。その生き方をするにあたって、悪魔が支配するこの世の価値観に染まってはいけない。ポストモダンの時代である現代は、自分が真理だと思うものが真理とされてしまう。多様性という名のもとに、何でもありの時代に私たちは生きている。その中にあって、私たちは、神の国の市民として、神の価値観に堅く立って生きていかなければならない。そのために必要なことは、神の御言葉である聖書を正しく学び、神に関する知識を更新していくことである。そして、学んだことを自分の生活に適用することである。そうすることで、津波のように襲ってくるこの世の価値観から身を守り、神に喜ばれる生き方を送ることができるようになる。

2024年は、終わりの時代の中の終わりの時代である。永遠に続くかのように思われている日常が間も無く終わろうとしている。コロナ禍に入ってから、世界が一気に同じ方向に舵を切った。緊急事態という名目のもと、強力なリーダーシップ、全体主義の世の中になり、国民は自由を制限されるようになった。このままこの世は、世界統一政府に向けて突き進むだろう。また、デジタル通貨、タトゥー型ワクチン、ワクチンパスポート、AI技術による顔認識システム、 第三神殿建設計画などなど、技術的に、状況的に、大患難時代にいつ突入してもおかしくない時代になっている。ということは、大患難時代の前に起こると約束されている携挙が、より目の前に迫っていることを意識せざるを得ない。

携挙は、紀元70年以降、いつ起こってもおかしくないものである。今日かもしれない、明日かもしれないという状態が約2000年続いたわけだが、上記の通り、大患難時代が待ったなしの状態になった今、ますますその切迫度が高まっている。そのような時代に私たちはいかに生きるべきか。私たちは、緊急性と平常心を保ちながら、日々、キリストの福音を宣べ伝えることを最優先にするべきである。最近特に、こちらが予想していないタイミングで伝道の機会が与えられたり、人が救われたりすることが格段に増えてきたように思う。携挙は、異邦人の救われる数が満ちた時に起こるが、まさに神がそのラストスパートをされているように感じている。 2024年は、今まで以上に伝道に力を入れて行きたい。そのために、いつその機会が訪れても良いように、日々御言葉を学び、霊的準備を万全にしようではないか。

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