メッセージテーマ「復活」



  • 2023/04/01

死んでも生きる

「わたしはよみがえりです。いのちです。」(ヨハネの福音書11章25節)
これは、イエス・キリストがご自身を神であると宣言していることば(神性宣言)である。ヨハネの福音書は、神の子としてのキリストを描いており、その中には、このような神性宣言が7つ記されている。上述のことばは、そのうち第5番目のものである。

このことばは、ラザロという弟子が死んで4日経った時に、その姉であるマルタに語られたものである。当時のユダヤ教では、死んで3日間は、魂が肉体に戻ってきてよみがえる可能性があると信じられていた。しかし、4日経ったら、その可能性は完全になくなると考えられていた。その4日が経った時、イエスはラザロが葬られた墓にやってきて、彼を今から蘇らせようとされた。そこでイエスは、マルタに対し「あなたの兄弟はよみがえります。」と仰った。

この時、マルタは、「終わりの日」に彼がよみがえること、つまり、メシアが王として世界を統治されるメシア的王国が樹立される時にラザロがよみがえることは信じていた。しかし、彼女は、今この瞬間にイエスがラザロをよみがえらせることはできないと思っていた。そんなマルタに対し、イエスが語られたことばが「わたしはよみがえりです。いのちです。」である。

このことばには続きがある。それは、「わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」である。死んでも生きるとは、どういう意味だろうか。この文に省略されていることばを補うとその意味が見えてくる。省略されたことばを入れてみると、「わたしを信じる者は、(肉体は)死んでも(霊は)生きるのです。」となる。イエス・キリストを信じる者は、肉体は死んでも、霊は永遠に生きるのである。そして、将来、その生きている霊は、決して朽ちることのない栄光のからだと結びつくのである。これが、イエス・キリストを信じる者に待っている祝福だ。

イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために、私たちの身代わりとなって十字架で死なれ、墓に葬られたが、三日目によみがえられた。「わたしはよみがえりです。いのちです。」ということば通りに、イエス・キリストはよみがえられたのだ。それを500人以上の弟子たちが目撃している。イエス・キリストは、復活してから40日間に渡って、弟子たちに神の国について教えた後、雲に包まれて天に昇っていかれた。今、イエス・キリストは天の聖所で大祭司として、私たちのために執りなしをしてくださっている。

イエス・キリストを信じる者は、イエス・キリストと同様に死んでもよみがえる。これは、現に死んでよみがえられて今も生きておられるイエス・キリストが私たちに与えてくださった約束である。それゆえ、この約束は必ず成就すると信じることができる。私たちの復活の時は、いつかなのか?それは「携挙」の時である。イエス・キリストを信じる異邦人(非ユダヤ人)の数が満ちた時、イエス・ キリストが空中に降りて来られ、信者たちを迎えに来られるのだ。 その時、既に死んでいた信者は、栄光のからだによみがえり、生きている信者は、栄光のからだに変えられて、天に引き上げられるのである。これを携挙と言う。この携挙は、いつ起こるかわからない。今日起こっても不思議ではない。そんな時代に私たちは生きているのである。

携挙が起きた後、地上では未曾有の天変地異や世界戦争などが起こる7年間の大患難時代がやってくる。この時代の中でも、イエス・キリストを信じれば救われるが、殉教の死を覚悟しなければならない。大患難時代の信者の多くは死んでしまうが、この7年間の最後に、イエス・キリストが地上に戻って来られる時によみがえる。 イエス・キリストを信じる者は、死んでも生きるというのはいつの時代も同じである。しかし、携挙の前に信じるか、携挙の後に信じるかで、復活に至る道が全く異なる。イエス・キリストの何を信じるのか、その信じる内容は次の3つである。

イエス・キリストが、①私たちの罪のために死なれたこと、②墓に葬られたこと、③三日目によみがえられたこと。

そして、イエス・キリストは今も生きて私たちを救うことができるお方であると信頼した人は、救われ、携挙に与ることができる。是非、携挙がまだ起こっていない今、この瞬間にイエス・キリストを信じて救われて頂きたい。

単 立 広 島 平 和 教 会

〒734-0021広島県広島市南区上東雲町9-10
Copyright © 2021 広島平和教会 All rights reserved.