- 2024/12/01
- クリスマス
赤子となられた救い主、イエス・キリスト
クリスマスは、救い主イエス・キリストの生誕をお祝いする日であるが、なぜ救い主が赤子として生まれる必要があったのだろうか。救い主なのだから、筋骨隆々とした成人男性の姿、あるいは、白髭を生やした神々しい老人の姿で突然現れても良かったのではないだろうか?よりによって、最も弱く、非力な赤子として救い主が現れたことにどんな意味があるのだろうか。その理由を紐解く鍵は、聖書預言にある。
聖書の中で、最初に救い主の登場について預言されている箇所が創世記3章15節である。ここで「女の子孫」として現れる救い主が、「おまえ」と言われている悪魔を滅ぼすことが約束されている。
旧約聖書は、この「女の子孫」がどのようにして登場するかが書かれていると言うことができる。聖書を読み進めると、女の子孫は、アブラハムという人物の子孫として現れることが分かる。そして、アブラハム→イサク→ヤコブ→ユダと続き、ユダの子孫のうちダビデの子孫として女の子孫が生まれることが預言されている。
ところで、なぜ「女」の子孫と言われているかというと、実はこの救い主は、通常の夫婦関係によって誕生するのではなく、処女が超自然的に身ごもって生まれるからである。そのことが、預言者イザヤの預言によって判明した(紀元前700年頃)。なぜこのような誕生が必要かというと、救い主は、アダム以来継承されている罪の性質を持たない人間として生まれる必要があったからだ。そして、今から約2000年前に、聖書預言通りに、処女マリアが聖霊の力によって身ごもり、救い主イエスが誕生した。
このイエスは、神であると同時に人でもある。100%神であり、100%人であるのが、救い主イエス・キリストだ。この世で最も偉大であり、権威を持っておられる神が、この世で最も弱い赤子となってくださった。このお方は、人として誕生し、幼少期を過ごし、私たち人間が経験するありとあらゆる苦しみ、悲しみを経験された。その生涯において一度も罪を犯すことはなかったが、私たちと同じように誘惑を受けられた。それゆえ、このお方は私たちの弱さに同情することができるのだ。イエス・キリストは、最も高きところにおられたのに、最も低きところに下られ、仕えられるためではなく、人々に仕えるために来られた。そして、最初の人間アダムが、父なる神の命令を守って生きるという使命を果たすことができなかった失敗を回復すべく、最後のアダムたるイエス・キリストは、父なる神の御心に完全に従って、神の義を成就されたのだ。このお方は全人類の代表として、全人類の全ての罪を贖うために、自ら進んで身代わりの生贄となって十字架にかかって死んでくださった。この贖罪死によって、私たちの罪が赦される土台が完成した。それで終わりではない。このお方は死んで墓に葬られた後、三日目に蘇られた。この復活によって、ご自身が真の救い主であることを全世界に証明された。このイエス・キリストは、今も生きて、私たちを救うことがお出来になるお方であると信頼する者は、すべての罪が赦され、永遠の命が与えられるのだ。
クリスマスは、この素晴らしい救いをもたらしてくださったイエス・キリストの御生誕をお祝いする日である。このお方は、将来、もう一度地上に戻ってこられ、罪と呪いに満ちたこの世界を回復してくださる。そして、ついに神は、今の天と地を過ぎ去らせ、新しい天と新しい地をもたらしてくださる。そこは死も悲しみもない完璧な世界であり、私たちはそこで永遠に平安に生きることができる。この希望を私たちにもたらしてくださったのが、赤子として生まれてくださったイエス・キリストである。このお方に栄光が世々限りなくありますように。