メッセージテーマ「教会」



  • 2024/06/01
  • 教会 / 携挙

史上最大の建築プロジェクト

最も有名な建築物の一つに、サグラダ・ファミリアというスペインにある世界遺産がある。サグラダ・ファミリアは、1882年に着工されたがいまだ完成しておらず、かつては完成までに300年かかると見込まれていたそうだ。しかし、昨今のIT技術の進展などのために、大幅に工期が短縮されて約144年の工期となり、2026年の完成が見込まれている。このサグラダ・ファミリアは、地上に存在する目に見える教会堂である。それに対し、この世界には、目に見えない教会が存在する。それを普遍的教会という。普遍的教会とは、紀元30年のペンテコステの日以来、今に至るまでに、イエス・キリストを信じて救われた全ての信者で構成されている信者の群れのことである。この普遍的教会は、信者の群れであるので建物ではないが、聖書では建物にたとえられている。普遍的教会というのは、紀元30年から現在まで、約2000年間も建設中である史上最大の建築プロジェクトなのだ。

"使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。"(エペソ人への手紙 2章20~21節)

普遍的教会には、他の建築物と同様に、土台が据えられている。その土台とは、使徒たちと預言者たちであり、その要の石がイエス・キリストである。つまり、創造主なる神が人となられたイエス・キリストが、全人類の救い主として、私たちの罪を贖うために身代わりとなって十字架で死んでくださったこと、また墓に葬られたこと、そして三日目に蘇られたことを信じる信仰、このようなお方としての救い主イエス・キリストが、普遍的教会の要の石なのだ。

"あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。"(エペソ人への手紙 2章22節)

この普遍的教会は、主にある聖なる宮、つまり、神が臨在してくださる神殿となっている。それと同時に、普遍的教会の構成員である一人ひとりの信者もまた、神の臨在の場とされている。私たち信者は、創造主なる神がその住まいとしてくださっている神殿であると思う時、身が引き締まる思いがする。聖霊なる神の働きによって、私たちを神殿として相応しい存在にしてくださるので、感謝に堪えない。

既に建設が始まって2000年が経とうとしている普遍的教会であるが、間も無く完成の時を迎えようとしている。なぜそう言えるかというと、神のご計画を鑑みた時、普遍的教会が完成した後に訪れる世界が、目の前まで迫っているからである。その世界とは、大患難時代である。大患難時代とは、7年間続く、全世界を襲う患難の時代である。この時、世界戦争、天変地異、大飢饉などが起こり、世界人口の大半が滅んでしまう。このような恐ろしい世界が訪れる前に、普遍的教会は完成し、天に引き上げられる。これを携挙という。

携挙は、イエス・キリストを信じて救われる異邦人(ユダヤ人以外の全ての人)の数が満ちた時に起こる。つまり、普遍的教会を建て上げる建材の最後の1ピースが埋まった時、普遍的教会が完成し、普遍的教会に属する全ての信者が、その時死んでいた者は栄光のからだに復活し、その時生きている者は生きたまま栄光のからだに変えられて、神がおられる天に上げられる。その時は、今日かもしれない、明日かもしれない。そのような時代に今私たちは生きている。私たちはその日がいつ来ても良いように、霊の目を覚まして、備えようではないか。その備えとは、イエス・キリストを救い主として信じることである。一人でも多くの方が、イエス・キリストを信じて、普遍的教会の一員となり、共に天に上げられますように。

  • 2024/05/01
  • 聖霊 / 教会

ワンチーム

「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という言葉は世間で広く知られているが、文献の中で最初に登場したのは1844年、フランスの作家アレクサンドル・デュマ・ペールの『三銃士』だそうだ。これが早稲田大学ラグビー部のモットーとして取り入れられ、それが今や日本のラグビー協会全体のキャッチフレーズとなったと言われている。ラグビーと言えば、2019年のワールドカップで日本が初のベスト8に入り、「ワンチーム」というスローガンが流行語大賞になったことは記憶に新しい。このワンチームという概念は、キリストの教会そのものを表している。

聖書では、「みからだの教理」という教えがあり、教会がからだにたとえられている。つまり、イエス・キリストが頭であり、イエス・キリストを信じる信者一人ひとりが各器官として構成されているからだが教会なのである。人間の体は、一つの体の中に多くの器官があって、各器官がそれぞれ異なった働きをしている。そして、例えば胃が痛くなれば、体全体が苦しくなり、体全体の調和が取れている時に初めて元気に生きることができる。このように、人間の体には、一体性、多様性、調和という要素がある。これと同じように、教会にもこの3要素が備わっているのだ。教会を構成する一人ひとりの信者は、キリストのからだの一部であるという点において一体性があり、それぞれ異なった個性、能力、賜物を持っている点において多様性があり、お互いに支え合っている点において調和がある。

ところで、イエス・キリストを信じる信者は、教会の一部となっているが、それを可能とする働きをなさるのが、聖霊(=御霊)なる神である。ある人がイエス・キリストの福音を信じた瞬間、聖霊はその人をキリストと一体化させ、教会の一部に組み込む働きをされる。これを「聖霊のバプテスマ」という。バプテスマとは「一体化」を意味し、これは布を染料で染めるイメージである。聖霊はお一人なので、全ての信者は、同じ聖霊によってバプテスマを受けて、キリストを頭とする一つのからだとなる。

そして、聖霊ご自身が信者一人ひとりの内側に住んでくださるのだ。これを「聖霊の内住」という。このことを教えているのが、次の聖句である。

コリント人への手紙 第一 12章13節 "私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。"

私たちは、人種も、身分も関係なく、誰でも、イエス・キリストを信じる信仰により、神の恵みによって、罪と死の束縛から解放され、聖霊のバプテスマおよび聖霊の内住が与えらえる。これがいつから始まったかというと、今から約2000年前、紀元30年にイエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死に、墓に葬られ、三日目に蘇られてから50日目のことである。その日は、ユダヤ人の祭りである七週の祭りの日であり、それをギリシア語で「ペンテコステ」という。

この日、聖霊なる神が地上に降臨し、教会が誕生したのだ。それ以来、教会はワンチームとして存在し、「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶ」(1コリ12:26)ように召されている。教会の存在目的の最も大切なことは、神の栄光が現れることである。そして、その目的は、キリストのからだに属する一人ひとりがお互いに愛し合うことで達成されるのだ。キリストが私たちを愛してくださったように、私たちもお互いを愛しあうことができるよう、聖霊の力により頼んでいこう。

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