証し 高宮俊幸



  • 2023/05/01

導 き


高宮俊幸

「求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきな さい。そうすれば開かれます。」 マタイの福音書7章7節

4月2日に広島平和教会のイースター礼拝で洗礼を受けさせていただきました。神様の家 族の一員となった喜びを、日々感じつつ生活する毎日です。これから、私のこれまでの歩 みの中で、どのように神様が働いて下さったのか、皆さんと分かち合いたいと思います。

私は、幼少期を九州で過ごしました。小さい頃に、よく父から言われていた言葉で印象的 だったのは、「嘘をつくな」というものでした。しかし、私はよく嘘をつく子でした。私は、 感受性が強く傷つきやすい反面、好奇心旺盛で衝動的に行動するという少し厄介な性格で した。特に小学生の時は、悪戯が好きで人をおちょくるのが楽しく、周囲に不快な思いを させることが度々ありました。当然非難されることが多かったのですが、傷つきやすいの で、なんとか自分を守るためによく言い訳や嘘をつきました。 素直に謝るということがなかなか出来ませんでした。自分の非と相手の非を天秤にかけて 自分のほうが正しいと思っていました。そんな私ですが、小学校5 年の頃にある事件を起 こします。

ある朝、早めに学校に着き席に座っていた私の前で、数人の女子がある女子の悪口を言っ ているのを聞きました。私は、その女子たちを心の中で非難していましたが、ふと悪戯を 思いつきました。その悪戯とは、悪口の内容を紙に書いて女子の机の中に入れるというも のでした。私は、衝動的にその悪戯を実行しました。

しばらくして、女子が登校して自分の机の中に入っていた私の紙を読み、そのまま泣き崩 れました。女子が紙を見るまで、ワクワクして反応を見守っていた私も、泣いたのを見て 「しまった」と思いました。そこから、クラス中が大騒ぎになりました。先生は正義感が 強い人で、「はらわたが煮えくり返った!絶対に犯人を見つける!」と宣言しました。目を 閉じて自分がやったという人は手を挙げなさいと言われましたが、恐くて手を挙げること が出来ませんでした。

クラスをあげた犯人探しが続きました。私は何もできずビクビクしているばかりでした。 間もなくして先生から呼ばれて自分がやったことを認めました。次の授業参観の時、私は 保護者が沢山いる中で、この事件のことを話すことになりました。私は泣きながら被害に 遭った女子と皆に自分のやったことを告白して謝罪しました。全く突飛で身勝手な行動で した。

結果として謝って赦されたのですが、自尊心がかなり傷ついたようです。周囲との関係を あまり築けてない私は1 人で感情の処理をしているうちに事実が歪んできて、人に対する 不満ばかりが増していきました。次第にひねくれて人と距離を置くようになってしまいま した。

中学を卒業すると、故郷を離れ神奈川の自衛隊の学校に入隊しました。 厳しい学校と聞いていましたが将来のことを考えて3年だけ我慢すればいいと思いました。 学校生活は男子ばかりの集団生活でしたが、やはり孤立していました。1 人でつっぱってる 私はさぞかし不快な感情を与えていたと思います。となりのベッドの級友が悪い頭目で、 毎日コーラを買ってこいといわれました。拒否をするのが怖いので従いました。ふざけて お風呂で小便をかけられたこともありました。ただ我慢するだけでした。皆からも口で色々 からかわれました。

非難を受ければ受けるほど意固地になり、自分を頑なに守り続けたため、屈辱と怒りにま みれた毎日になりました。相当息苦しく、楽になりたい楽になりたいと度々思いましたが、 結局ますます頑なになっただけでした。そのころは、誰も居ない図書室で本を読むことが、 癒しの時間になっていました。色んな本を読みましたが、興味の中心は人の幸せとは何か といったテーマのものが多かったと思います。

3年間と少しの自衛隊の学校生活を終えると、福岡の部隊に配属されました。私は無線機 の修理を主に担当していました。30代になって、周囲に薦められるがままに部内試験に 受かり、幹部自衛官になると仕事の種類が変わりました。 自衛隊の毎日の主な業務は、教育訓練ですが、幹部はこの訓練計画立案と実行指示を担当 します。受け身の業務ばかりだった私が、計画を立案し、上司に指導を受け、関係者と調 整したり人に指示したりと苦手な業務のオンパレードでした。しかし、評価されたいとい う気持ちが強く働き、やり遂げようと努力しますが緊張と不安が強く、次第にあまり眠れ なくなり、ある時燃え尽きたようになりました。私は、それまで自分の評価が下がる恐れ から自分で環境調整をほとんどせず、来るもの拒まずで何でも受け入れ、我慢とプラス思 考で乗り越えるような生き方をしていました。しかし、この時は我慢の限界でした。

とにかく逃げたくて病院に行きました。診断の結果は適応障害ということで、しばらく仕 事を休むことになりました。それから病院のデイケアに通いました。自分の性格や能力を 理解して、周囲と環境調整をしていく練習をしました。病気を再発させずに何とか社会復 帰できれば病院の目的は達成でした。自分はそれが出来て、なんとか無事復職できました。 しかし、何か不満に感じていました。何も不自由してませんでした。家庭があって健康だ し、経済的にも問題ありませんでした。それでも、何か漠然とした満たされなさがありま した。それが何なのかその時は全くわかりませんでした。

40歳になるかならないかの頃、北海道の部隊で勤務している時に、 三浦綾子さんの「塩狩峠」という小説を読みました。主人公永野信夫の少年時代からキリ ストを信じるまでの過程、クリスチャンとしての生き方が、しっかりした人物描写、巧み なストーリー展開、難しい用語や宗教的な表現を極力使わない明解な文体で語られており、 のめり込んで 一気に読了しました。ラストは衝撃的な自己犠牲の死を遂げます。それはプライドや人間 不信とは無縁の、潔さと愛に満ちたものでした。 どのようにしたらこのような生き方ができるのか。人間にこのようなことが可能なのかと 思いました。さらに、この話が実話を元にしていると知って驚きました。それから三浦作 品を多数読むようになり、キリストに強く引き付けられ、聖書を手に取りました。

「氷点」という作品があります。三浦綾子さんの処女作にして最大のベストセラーです。 この作品のテーマは「原罪」です。「原罪」とは、聖書によると最初の人間アダムから私た ち人類が持っている根源的な罪のことです。その罪とは「神に反抗して自分勝手に生きる。」 という罪です。聖書の神とは、この世界を無から創造し、さらに私たち人類を創造した、 すべての原因となる神です。

アダムと妻エバはこの神と共に、悩みも苦しみもない喜びの世界で永遠に生きる体でした が、悪魔に誘惑され知恵の実を食べたことで罪が入り、その罪の報酬として人は死ぬこと になりました。私は、神からなぜ食べてはならない実を食べたのかと聞かれて言い訳をす るアダムに、罪の指摘を恐れて嘘ばかりついている自分の姿を見ました。

そして、彼らは楽園を追放されます。彼らの子供カインは自分の弟アベルを嫉妬により殺 害します。その子孫たちも次々に酷い罪を犯していきます。すべては最初に神に反抗した アダムから始まりました。そして彼らを誘惑した悪魔の存在がありました。

神様は、このエデンの園である預言をします。それは、エバを誘惑した悪魔に対し、お前 の頭を打ち砕くものが女の子孫に現れるというものでした。この女の子孫がイエス・キリ ストです。イエスは、ローマ帝国支配下のユダヤに現れ、人の罪の贖いのため自らの命を 犠牲にして十字架上で死にました。そして墓に葬られ、3日目に復活しました。この人物 は、この福音を信じる者にその罪を赦し、永遠のいのちを与えるために神様が送った救世 主でした。神様は、赦し難い人の罪を何とか赦したくて全く罪のないキリストを地上に送 り、すべての人の罪を負わせて十字架にかけ、さらに復活させて救いの道を備えてくださ ったと言うのです。 それが、私たちを悪魔の支配から解き放つ、すなわち蛇の頭を打ち砕くということなのだ ということなのです。

私はいつも自分が評価されたいがために努力し、また評価が下がること恐れて逃げ隠れす るといったことの繰り返しでした。そのような生き方しか知りませんでした。しかし、聖 書は、神様はそうした生き方を評価しておりませんでした。人は自分は今日良いことを一 つした二つした、悪いことを一つした二つしたと誇ったり、裁いたり、悔やんだりします が、神様の視点で言えば人の義の大なり小なりはドングリの背比べであって、そのままで は不合格でした。

神様が唯一人を認める方法は、自分が罪人であり、自分の判断ではもはや良い事など出来 ないことを認め、その主権を完全に神に明け渡すことでした。私は聖書から、これらの事 を知りました。これは、目からウロコでした。何か腑に落ちるというか、納得できるもの がありました。

ある時、追い詰められることがあり、いつものように脱出する方法を考えるのですが、思 い浮かばず、絶望感に陥りました。そこで私は神様に祈りました。「神様、私はどうしよう もない罪人です。わたしには正しく事を成すことができません。すべてをあなたにお委ね します。私の中に入ってください。イエスキリストの御名によって祈ります。」 肩の力が抜けてスッと楽になりました。すると、それから人に対して自分の非を認めると いうことが、徐々にできるようになっていきました。 その結果、不思議と物事が上手く運んでいくようになりました。今まで、どんなに努力し ても不可能だったことでも、祈ると可能になっていきました。私は益々祈るようになりま した。そして、頑なだった私の心は どんどん柔らかくなっていきました。神様に対する信頼感が増していき、聖書の御言葉を 学ぶことが日課になっていきました。いつのまにか、 ずっと私の心の中にあった満たされなさのようなものは消えて無くなっていました。

広島に転勤してきて、仕事もそれほどハードではなくなり、比較的自由な時間が増えまし た。しかし、だんだん聖書を読まなくなり祈ることも少なくなっていきました。そんな折、 強い罪悪感が生じました。神様から聖書を読みなさい、教会に行きなさいと言われている 気がしました。 それで、また聖書を読み始めました。

そして教会を探しているうちに、広島平和教会のHPに行き当たりました。ハーベストタ イムメッセージステーションをよく聞いて聖書理解の参考にしていたので、牧師の中川先 生や森田副牧師のメッセージに共感できました。数回通ううちに、洗礼を受けたい思いが 与えられました。そこからは、なぜか栓が抜けたようになって、周囲に信仰を告白するよ うになりました。

最近、ヨハネの黙示録を学びました。ハーベスト・タイムで字義通りの聖書解釈に出会わ なければ、この本の意味がずっと分からないままでした。黙示録によると、この世界の終 わりは人類にとって非常に厳しい状況であると預言されています。しかし、神様は私たち に大いなる希望をお与えになっています。神様の描くこの世界のストーリーは正真正銘の ハッピーエンドです。ですが、そのハッピーエンドに預かることができるのはイエス・キ リストを自分の救い主だと真に信じた者だけです。

振り返ってみて、私が何故神様を信じることができたのか実際よく分かりません。厄介な 性格に生まれたと思っていました。また、若い頃頑なに人に心を開かなかったこと、自分 の評価のために貪欲だったことも、今となっては不思議です。しかし、すべてが神様の導 きのゆえであったと考えると感謝せずにはおれません。

信じる前は歪んでいるように思えた道が、信じた後は王道に見えます。 そして、これまでの私の経験も無駄ではなく、これからすべて神様が用いられるという期 待があります。私は無知で弱い人間です。また罪人です。しかし、私の信じる神様は創造 主であり全知全能の絶対者です。 そして愛なるお方です。この神様に信頼して歩む道を私は選びました。

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこ しえにありますように。アーメン。」 ローマ人への手紙11 章31 節

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