証し 三好曜子



  • 2021/06/27

信仰について考えさせられたこと
ー ヘブル人への手紙11 ・12 章を読んで ー


三好 曜子

信仰とは神の啓示に対する応答である

ヘブル人への手紙は、信仰が後退しつつあった第2 世代のメシアニック・ジューたちを励ますために書かれたことを、中川先生が解説された「ヘブル人への手紙」講解メッセージを通して学びました。 ヘブル人への手紙の著者は、信仰がゆらいでいる第2 世代のメシアニック・ジューたちに、信仰とは何であるのか教え、昔の人々がどのような状況の中で信仰を貫き通したのかを教え、耐え忍ぶことの大切さを教えてくださっています。また、信仰とは、神の啓示に対する応答であるということ、神の約束は必ず成就すると信じることが大切だと教えられました。



信仰の試練を通して神に喜ばれる信仰へ

アブラハムの信仰について中川先生がオリーブの実から油を搾り取ることにたとえて語られた言葉「アブラハムが粉砕され、上から圧力をかけられ、そこから純粋な信仰が生まれてきた。神に喜ばれる信仰というのは、神が許可されるテストを通して、我らの内から生まれ出てくるということも言える。」ということをお聴きして、信仰は信仰の忍耐を通してさらに深められ強められていくものだと教えられました。人間的には避けたくなりますが、信仰の試練は形を変えた祝福であり、喜ばしいものだと教えられました。



信仰に生きた旧約聖書の義人たち

ヘブル人への手紙11 章には、信仰の義人たちが紹介されています。私が励まされたのは、11 章32~40 節で取り上げられている、信仰の勇士たちです。私と同じように、弱さや臆病な性質を持っていたにもかかわらず、信仰を発揮し、苦難の中で信仰の忍耐を働かせて、勝利した人々が実際にたくさんおられたということを知って力づけられています。



信仰の対象はどなたなのかを正しく認識することが重要

今からは信仰について、私が感じたことを書かせていただきます。信仰には対象が必要です。私たちはもちろん、聖書の神様、創造主であり、イエス・キリストの父なる神様を信じていますが、日本には様々な信仰の対象があります。聖書の神を信じる私たちは、聖書に書かれている真の神を正確に知ることが、信仰生活を送る上で大切だと、私は思うようになりました。もともと聖書の神様に関心の薄い日本で育った私たちが、神様に喜ばれる信仰を持つためには、創造主なる神様に対する正しい認識をもつことが必要不可欠なのではないかと思います。しかし、たとえ教会に通っていたとしても、人まかせにしていては、聖書的な神概念、聖書的価値観が身につかない場合もあります。私は、過去、自分から真剣に聖書に向き合ってこなかったので、私の思いの中で想像できる範囲の神様のイメージしかなかったことに、今頃になってやっと気づかされています。バイブルスタディで三位一体の神に対する理解が、少しずつですが与えられています。出 エジプトの時代にイスラエルの民がマナを集めたときに、たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人も足りないことはなかったと聖書に書かれていますので、私の理解できる量が少なくても、神様は私の魂の必要を十分満たしてくださるだろうと思っています。私のすべきことは毎日、みことばの前に静まることなのだろうと思います。

聖書に書かれていることを正しく理解することとともに、聖書的価値観をもつことも大切だと最近思うようになりました。みことばをどう適用するのかは聖書の学びの中だけではなく、兄弟姉妹との交わりの中で教えられることが多くあります。



信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいることの大切さ

神様に対する正しい認識を持ちたいということを書きましたが、同時に神様が啓示されたことにも正しい認識を持ちたいと思います。先に書きましたが、中川先生の「ヘブル人への手紙」講解メッセージから、信仰とは神の啓示に対する応答だと学びました。聖書の中で神様がどのようなことを、啓示してくださっているのか知らなければ、私たちは応答できません。時代ごとに漸進的に神様が啓示してくださった内容を、正しく理解し、生活に適用していきたいと思いました。

昨年からCOVID ー19 や米大統領選が引き金となった政治的、経済的、社会的な混乱を目の当たりにすると、不安が私たちの生活に絶えずつきまとっているような気がしています。主イエスから目を離させるものがいろいろとあるように感じます。やがて携挙を迎えて、復活の体に変えられ、原罪から解放されるときを待ち望んでいる私たちですが、そこに至るまでに、様々な信仰の忍耐を働かせなければいけないことが予想されます。昨年に続き、今までの価値観が大きく揺れ動いていることを感じさせられていますが、そのようなときに、私たちの教会のテーマ聖句として、中川先生がヘブル人への手紙12 章2節を選んでくださったことは、私が信仰を守っていく上で大きな助けをいただいたことだと思っています。

  • 2022/05/29

聖霊により頼んで歩むことの 大切さを教えられました


三好 曜子

問いかけられた信仰の現在地

今年初めに中川牧師から、広島平和教会の今年の年間テーマ聖句をいただいたとき、「私の 地境を広げてくださいますように。」というヤベツの求めが心にとまり、その前にひるみま した。それは私が今まであまり目指したことのない大胆な祈りだったからです。私には大 きすぎる目標のように思いました。やがて私は、地境を広げていただくためにはまず、イ エス様の土台に私の信仰が、しっかり根付いていなければならないのではということを思 わされるようになりました。

植物は大地に深く根を張ったとき、成長に必要な養分を十分に受け取ることができ、成長 できます。私は?と思いました。果たして私は、ぶどうの木であるイエス様にしっかり結 びついているでしょうか。今までのことを振り返ると、憐み深い神様が太陽の光を浴びさ せてくださり、信仰の家族である兄弟姉妹の方たちが、おりにふれ水をくださり、栄養剤 を外から補給してくださったりしたので、今日まで、細々と私なりの信仰を保ってこられ たような気がしています。

ヤベツの祈りについて思いめぐらしているうちに、支えがないと立っていられず、少し風 が吹くと信仰が萎えてしまうような、今だ自立できていない自分自身の現状に気づかされ て、愕然としてしまいました。信仰の雨風はできれば避けたいと願う私には、試練に対す る耐性がなく、これで良いのだろうかと自問自答させられました。

神様に近づくために

何か問題が起きたとき、つい投げやりになってしまい、しばしば遠いように感じてしまう 神様と、そして主イエス様との距離。何によって縮めることができるのでしょうか。私は 神のみことばに、主の教えにしっかり根をはらないといけないのに。 ふと、ルカの福音書15 章に書かれている放蕩息子のたとえを思い出しました。父から分け てもらった財産を持ち、家を出てしまった弟息子。放蕩して何もかも遣い果たし困窮する 中で、やがて我に返り、父親のところに行こうと思います。私は弟息子が「帰ろう」では なく、「行こう」と思ったことに、弟息子が置かれている状況の厳しさがあらわれているよ うに思いました。自分はもう、父親から息子と呼ばれる資格はないと、弟息子が心から思 っていることが伝わってくるようです。

これほどみじめな状態に落ちてしまった弟息子に対し、父がとった態度は感動的です。「ま だ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って」と書か れてあります。主イエスをとおして、私たちの父となってくださった神様は、私たちを遠 くからご覧になっておられる。私たちに、神様に近づきたいという願いがあるならば、神 様はご自分のもとに私たちを引き寄せてくださる。放蕩息子のたとえを思い出し、私はそ のような確信を持つことができました。たとえ、私の足が弱く、すぐに神様に近づくこと ができなかったとしても、まずは、私の心と思いとが、神様と主に向き直ることが大切な のだと気づかされました。私にとって難しい問題の前に落ち込んだとしても、そこから神 様のほうに心を向けることを心がけたいと思います。これからは、何かあっても落ち込ま ない強い信仰を持つことを目指しますというのではなく、落ち込んだとしてもその都度、 起き上がることを目指していきたいと思わされています。



内住の聖霊の助けをいただいて歩んでいきたい

できない理由を探すことの天才である私は、目標を与えられても、他の人にはできても私 にはと、最初から尻込みしてしまうことがしばしばあります。ヤベツの祈りにおいても、 なかなか信仰のジャンプができずに悩んでいましたが、最近、とても助けになる二つのメ ッセージに出会いました。ひとつは、中川牧師が語られるルカの福音書からのメッセージ、 二つ目は森田伝道師がクレイを土台に、毎日、私たちに分かち合ってくださっている励ま しのメッセージです。
「聖霊の働きに信頼してください。今まで以上に聖霊の力に依存してください。聖霊の助 けによってそれが可能となります。」(中川牧師メッセージ「ルカの福音書(30)弟子の行 い」より)
「私たちは、自分の力(古い性質)によっては、律法を行うことは出来ませんが、聖霊の 力(新しい性質)によって律法を行うことが出来るのです。聖霊の力が働くためには、信 仰が必要です。(途中省略)この信仰によって、聖霊が働いて、実際にそのような性質、行 動が備えられるようになるのです。」 (森田伝道師メッセージ「5 月15 日クレイ・出エジプト20:1~17『モーセの律法・第2 の側面』」より)

神様は私が、自分の努力や力では、キリストの愛の律法を行うことも、信仰による大胆な 歩みをすることもできないことを最初からご存じで、聖霊をとおして力強い助けを受け取 ることができるように、私に、主イエスを信じる信仰とともに、助け主である聖霊を与え てくださいました。どれほど大きな恵みなのだろうかと思わされています。



神様をほめたたえるところからのスタート

自分の可能性からスタートして、ヤベツの祈りを目指すと、挫折するのは目に見えていま す。しかし私は信仰という大きな恵みをいただきました。主イエスを信じる信仰と聖霊の 助けによって、私は「私の地境を広げてくださいますように。」という祈りを神様の前に おささげできるのです。ヤベツの祈りについて思いめぐらしているうちに、神様からその ことを教えられました。

自分の小ささを知り、神様の偉大さをより深く知るにつれ、私のうちに神をほめたたえる 思いがわきあがってきます。「私の地境を広げてくださいますように。」という祈りのスタ ートは、私が神様をほめたたえるところから始まるように思います。

私は何も持たずにこの世に生まれてきました。今あるものはすべて神様からいただいたも のです。私には今、神様が私にくださる賜物はすべて、地上で使い尽くして、主の御許に 召されたいという願いがあります。「私の地境を広げてくださいますように。」という祈り とともに、私がおささげするものを、神様がお受け取りくださって祝福してくださり、一 人でも多くの方に福音が届けられ、神様からの救いの恵みを受け取っていただきたいと思 います。そのような願いを与えてくださった神様に、感謝と賛美をおささげいたします。

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