証し 西山けい子



  • 2021/06/27

謙遜な祈りこそ祝福への道


西山けい子

「歴代誌第一」は、アダムから始まりダビデまでの父系系図が、順番に書き綴られていま す。その中で、このヤベツの祈りの記事は、突然、前後の脈絡なく書かれています。「ヤベ ツ」とはヘブル語の「オツェフ(痛み)」との語呂合わせだということです。「ヤベツの祈 り」について、聖書が与えてくれている情報は少ないので、この「ヤベツと母の物語」を、 私の乏しい聖書知識を総動員して、想像を膨らませてみました。



①ヤベツの母その人となりと信仰

私は「ヤベツの祈り」の前に、まず「ヤベツの母の祈り」があったのではないかと思いま した。女性には時代を問わず、神様から与えられた、大切で恵み深い大仕事があると思い ます。それは「妊娠、出産、子の養育」です。ヤベツの母も、受胎が分かってから祈りつ つ妊娠の時を過ごし、出産に備えたことでしょう。卑近な例ですが、私の義妹(弟の妻) も、胎児が女の子とわかると、ヨハネの福音書の中の御言葉から「真理恵(まりえ)」と命 名し、祈りのうちに出産の時を待っていました。

ヤベツの母は「痛みのうちに産んだ。」と言っていることから、陣痛が激しく、長時間であ ったのかもしれないと私は思いました。そのためにヤベツは何らかの障害がある子になっ たのではないかとも考えられます。
ヤベツの母はそのことで自分を責め、一生涯自分がヤベツの面倒を見るつもりで、自分が 与えた痛みを忘れまいとして「ヤベツ」と命名したとも考えられます。

新約聖書のマタイの福音書15 章22~28 節にはカナン人の女が、自分の娘を癒してもらお うとして、救い主イエス様に「小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」と 執拗に懇願する記事があります。ヤベツの母もイスラエルの神に、ヤベツの癒し(痛みか らの解放)を求めて日夜祈っていたことでしょう。また兄弟との関係においても、長じて 地域に出て行っても、周りの人々からヤベツが軽んじられることのないようにと祈り続け、 献身的な養育をしたことでしょう。

私は独身なので子どもはいませんが、霊の子はいます。その子たちのことを神様におゆだ ねし、子に最善がなされ、子が神様に近くあるようにと祈りつつ過ごす日々です。神様は 真実なお方です。祈りを聞いてくださっています。



②ヤベツその人となりと信仰

ヤベツは弱さを持ってこの世に生を受けましたが、同時に母の溢れる愛と祈りも与えられ ました。ヤベツは昼夜を問わぬ母のとりなしの祈りを聞きつつ育ちました。それによって、 ヤベツも幼いころからイスラエルの神様に祈るようになり、神様が憐み深い方であること を知るようになりました。コリント人への手紙第二1 章4 節にあるように、「神は、どのよ うな苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神か ら受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。」を体 現する憐み深い人にヤベツは成長しました。

ヤベツは長じても、「私をわざわいから遠ざけ、痛みを覚えることのないようにしてくださ い」と祈らねばならない弱さを持っていたと思われます。だからこそ謙遜になり、人の弱 さを理解することが出来る人格者になり、重んじられたのではないかと思いました。 箴言18 章12 節に、「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」とあります。 また、箴言22 章4 節に、「へりくだりと主を恐れることの報いは、富と誉れといのち」と あります。そして、詩篇34 篇18 節には「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の 砕かれたものを救われる。」とあります。ヤベツの「私を大いに祝福し、私の地境を広げて くださいますように。」という祈りは、「私は弱さを持った者ですが、守り、導き、祝福し てくださいますように」という謙遜な祈りなのではないかと思うのです。



まとめ

この「ヤベツの祈り」の御言葉を拝読して、私の心に響いている御言葉があります。それ はヨハネの福音書12 章24~26 節の、イエス様の御言葉です。

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落 ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実 を結びます。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命 を憎む者はそれを保って永遠のいのちに至ります。わたしに仕える というのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいると ころに、わたしに仕える人もいることになります。わたしに仕える なら、父はその人を重んじてくださいます。」

私もヤベツと同じように弱さを持った者ですが、神様の憐みによって癒され、強められて 1991 年(平成3 年)から現在までの約30 年間、教会の文書伝道の働きに携わっています。 教会の求道者の方々に、福音文書とお便りを毎月お届けしています。この地味で小さな働 きが実を結ぶよう、私の霊と体が神様に守られ、祝福されることを日々お祈りしています。 数年前から、ほぼ毎月お返事をくださる方が起こされたり、教会の礼拝に出席される方が 起こされたりしています。また長年、心の中で、一人悶々と思い悩んでいたことを打ち明 けるお便りをくださった60 歳代の男性もいらっしゃいます。

これらは私の功(いさお)によるものではなく、神様の御手のわざとお導きによるもので す。これからもへりくだって神様にお従いし、神様の御心にかなう祈りと働きをしてゆく ことができますようにと、願っています。そうして、神様の御栄光を拝することができま すように。

「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださる ということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」 ヨハネの手紙第一5 章14 節

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