証し 今岡真理



  • 2021/05/23

ずっと前から私を呼んでおられた主、イエスに出会って


今岡真理

私は昨年4月に、広島平和教会の一員になり、zoom 集会に参加しています。 信仰生活を振り返った時、神様はずっと共にいて導いてくださっていたのだと、全き親の 愛を感じざるを得ません。 その神様の導きを、お証しできれば幸いです。

私は小学生の頃から、「人はなぜ生まれ死んでいくのだろう?限りある人生に、どんな意 味があるのだろう?」とよく思っていました。そして、自分を含め表と裏の顔をもつ人間 に対して、矛盾というか空虚さを感じていました。 常に心の中には空洞があり、それを音楽や詩の世界で何とか埋めながら生きてきたように 思います。

かなり長い年月後、そんな私が教会に通うようになったきっかけは、激痛を伴う難病を 患い、心身ともに死んだような限界状態に陥ったからでした。 ある時ふっと「聖書を学びたい」という思いが湧きました。 今思い返しても不思議なのですが、そういう思いを与えていただいたのは、神様の憐れみ の愛としか思えません。

動くことが少しずつできるようになり、教会に通い始めました。そして、聖書の中の福音 書を読み、イエス様に出会った時、私は号泣しました。 その時のことは今でもハッキリ覚えています。夜遅く家族が寝静まった時でした。ずっ とずっと求めてきたのはこのお方だった! 生まれてきた意味がわかったように思いました。 心の中の空洞に、イエス様が入ってきてくださいました。

それからしばらくは、嬉しい思いでいっぱいだったのですが、教会の礼拝や様々なことで、 風船が萎んでいくような感覚をもつようになりました。心が涸渇していく日々でした。 イエス様のこと、聖書のことを、もっと深く知りたいという切実な思いが大きくなり、イ ンターネットで調べる毎日でした。 そして「3分でわかる聖書」中川先生の動画を見つけ、自分の様々な疑問が、短い3分で 解けていくことに感動し、どんどん聞き続け、気づけば一時間!ということも何度もあり ました。

また別に、十勝鹿追キリスト教会の三浦牧師のブログに目がとまり、その中には、私が 教会に対しての疑問の答えがありました。 また、全く別のことでyoutube の音楽を聴いてる時に、心に響いた賛美グループがあり、ふ と歌ってる人の名前を見て、どこかで…と、思いを巡らしたら…、三浦牧師のブログ!そ の方は娘さんの愛実さんでした! CDを求めてのお電話から、鹿追教会との繋がりが始まりました。 当時から、礼拝のLIVE 配信もしてくださってて、時々拝聴するようになりました。 ハーベスト・メッセージも続けて聞いていた私は、乾いたスポンジが水を吸収するような、 目から鱗体験の連続でした。 徐々に神学の違いもわかってきていたので、集える聖書 フォーラムを探しましたが、愛媛にはありませんでした。 しかし、鹿追教会から東京杉並聖書フォーラムの長老ご夫妻、呉聖書フォーラムの兄弟姉 妹との出会いが与えられ、昨年初めて、広島平和教会聖会で中川先生とお会いし、現在に 至っています。

点と点が少しずつ繋がり、線になり面になっていました。 神様は全てを御存知であり、ご計画は必ず成就する。その中で生かされていることを感謝 します。

日々試練はありますが、全知全能の素晴らしい神様に委ね信頼し、イエス様見上げ歩みま す。

「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、す べてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」
(ローマ8:28)
アーメン

  • 2021/10/31

オカリナ賛美によせて


今岡真理

最近私の中に、確信となって浮かんだ言葉があります。 それは、「神学のない賛美はない」ということです。 亡くなった父が、音楽教師だったこともあり、私にとって音楽は、幼い頃から生活の一部 でした。 大学時代はクラリネット専攻でしたが、不思議な出会いでオカリナに出会い、現在に至っ ています。

教会に通うようになってからも、自然に聖歌隊などで奉仕をしていましたが、いつも「礼 拝とは?賛美とは?」という疑問がありました。 ハーベストを知り、中川先生がメッセージの中で、 「神学のない礼拝はない、礼拝のない神学はない。」と語られた時、 ハッとし、またストンと心の中に落ちた感覚がありました。

音楽は、神様からの素晴らしいプレゼントだと思ってきましたが、その音楽を神様に感謝 しながら捧げるというより、「私の音楽」という自己主張のようになってる、この世的な違 和感を持ち続けていました。 オカリナをどういう方向で続けていけばいいのか…、模索している中で、ある時中川先生 のオカリナCD を拝聴しました。

聖書のみことばとオカリナ。先生の爽やかなお声と、オカリナの音色。 私は「これだ‼ 求めていたことは」と、目の前に矢印が見えたようでした。 神様の御心ならば、私は神様から与えられたオカリナで、神様を賛美し福音を伝えていき たい。

病気や様々な問題で、何度もオカリナをやめようかと思ったこともありましたが、神様に 祈り、たずね求めるうちに、今回のオカリナ賛美の機会を与えられました。 賛美は祈り。一人でも多くの方に、福音が伝わりますように。オカリナの音色に祈りを込 めて奏でます。
アーメン

  • 2022/02/27

サムエル・カンさんのワーシップタイムからの恵み
~賛美は音楽ではなく、礼拝そのもの~


今岡真理

私がかつて礼拝で賛美していたのは、讃美歌がほとんどで、ワーシップソングって何だろ う?と思っていました。
ハーベストを知り、サムエル・カンさんの賛美を最初聴いた時も、知らない曲ばかりで馴 染めなかったというのが正直な気持ちでした。

聖書の学びをしていなかった名ばかりのクリスチャンだった私が、ハーベストメッセージ を拝聴し、聖書が少しずつ理解できるようになってきたある時、サムエルさんの「新しい 契約」という賛美に出会い、その歌詞と共に、神様のイスラエルの民に対する愛が、心の 中に飛び込んできて、胸が熱くなり涙で歌えないくらいの衝撃でした。 また「私にとって」という賛美も、まさに私自身の思いと重なりました。 そしてサムエルさんが、zoom で賛美礼拝を始められると知った時、参加させていただきま した。

初めて参加した時に、サムエルさんが語られた言葉が、ずっと心に残っています。 「賛美は、音楽ではなく礼拝。主役は聖霊。フォーカスはイエス・キリスト。礼拝はどこ までもへりくだること。」 その時間は、私にとって魂の解放のような、聖霊にすっぽり包まれているような大切な時 間です。

「私にとって生きるとはキリストです。 死ぬことさえもまた、益です。 神に栄光がありますように。」
アーメン❤

  • 2022/03/27

「神の偉大さを知り心の地境を広げる時」


今岡真理

聖書知識不足の私は「ヤベツの祈り」と聞いた時、聖書箇所を教えてもらうまで、ヤベツ という人物のことも知りませんでした。 ヤベツの名前が「痛み、悲しみ」を意味していること。 神の偉大さを知って地境を広げる祈りをし、その祈りは神の御心にかなったものであった こと。 自分が理解している神の領域を広げることが、自分の地境を広げることに繋がること。 このテーマを与えていただき、私にとっての「地境」とは何だろうと、これまでの歩みを 振り返ってみました。

聖書をヘブル的視点で字義通りに学んでいるハーベストの群れである広島平和教会に導か れ、その一員になることは、海を隔てた愛媛に住んでいる私にとって、地境を広げる第一 歩でした。 次に、zoom 礼拝やバイブルスタディに参加するため、アナログ人間の私には、その点でも チャレンジでした。 昨年から始めたオカリナ賛美ですが、全く予想もしていなかったことで、神様を賛美した いという思いでチャレンジし、これも地境を広げることとなりました。

最近祈りの中で示されたのですが、私にとっての次の地境は、身近な人に仕え愛すること。 遠くの人より、身近な人に対しては、人間的な思いが先に立ちます。 愛せない思いに苦しみ、自ずと自分の罪深さを突きつけられます。 でも、そうであればあるほど、これまで学び体験してきた神の偉大さが、心に深く深く入 ってきました。

神は、愛するひとり子を、私たち罪人を救うため十字架につけられました。 イエス・キリストは、十字架上で尊き血を流して贖罪し、とりなしの祈りを捧げてくださ いました。 死んで葬られ、復活し今も生きて導いてくださっています。

愛するとは、福音を伝えること。 相手がどうあろうと、神は愛しておられる。 私にとって次の地境は、自分の心の地境を広げること。 痛み、悲しみを越えさせてくださる神の偉大な愛に感謝し、賛美を捧げることが、私の「ヤ ベツの祈り」だと思いました。 この一年の原点とします。

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