メッセージテーマ「神への感謝」



  • 2023/11/01
  • 神への感謝

終末的希望の中に見出す、神への感謝

11月と言えば、アメリカではThanksgiving Day(感謝祭)のお祝いがなされる。そこでは、大勢の親族や友人たちが集まり、収穫と、この1年間の祝福を感謝する宴が開かれる。筆者もアメリカに留学していた時に、Thanksgivingのお祝いに招待されたことがあるが、七面鳥を始め、様々な郷土料理に舌鼓を打ったことを今でも鮮明に覚えている。

さて、聖書には、「神に感謝する」という言葉が沢山出てくる。その理由は至極当然である。なぜなら、私たちは神によって造られ、生かされているからだ。私たちに与えられている良きものの源は、全て神である。神は、私たちに与えて、与えて、与え尽くされるお方である。私たちが自分の力で成し遂げたと思ったとしても、ではその能力、環境、時間を与えたのは誰か?それは神である。神は、私たちが幸せに生きられるように全てを整えてくださるお方なのだ。それゆえ、私たちは神に感謝するのである。この神への感謝は、私たちの内から自然に湧いてくる感情であるが、それは神ご自身も私たちに望んでいることである。そのことを教えているのが、テサロニケ人への手紙 第一5章16~18節である。

"いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。"
(テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節)

この手紙は、パウロの第2次伝道旅行の際に誕生したテサロニケ教会に向けて書かれたものである。パウロがテサロニケに行った時、すぐに迫害が起こり、十分に教えることができないままこの教会を去ることになった。そのため、テサロニケ教会の信者たちは、特に終末論についての理解が不十分であり、キリストの再臨について誤解があった。そのため、信者の中には、キリストがすぐに再臨されると信じ、仕事を辞め、他の人に迷惑をかける者や、日常生活を軽視し、浮き足だった歩みをしている人たちがいた。そこで、パウロは、その過ちを正すために、「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい」(4章11節)と命じた。

それに続き、パウロは、携挙と大患難時代について解説した。イエス・キリストを信じて救われた者は、携挙の時に死んでいても生きていても、必ず復活のからだが与えられて、天に上げられ、イエス・キリストと会うことができる。そして、神の怒りの杯がぶちまけられる大患難時代を通過しなくても良いのである。それゆえ、身を慎み、互いに励まし合い、互いに高め合うべきである。テサロニケ教会の信者たちは、あらゆる迫害と苦難に苦しんでいたが、この携挙や再臨の希望のゆえに、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことにおいて感謝することを、神は彼らに望まれたのである。そして、このことはそのまま私たちに適用できる。

イスラエルで戦争が起きて以来、ますます携挙、再臨が近づいていることを肌で感じるようになった。この世においては聖書的価値観が激しい攻撃を受け、神に従って生きることが困難な時代になっている。しかし、私たちには携挙、再臨の希望があるから、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝することができる。私たちに与えられている恵みを数え上げて神に感謝し、伝道の緊急性と平常心のバランスを保ちながら、一日一日を丁寧に生きていこうではないか。

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