- 2025/12/01
- クリスマス
思いもよらなかったプレゼント
メリークリスマス!
クリスチャンでなくても、12月に入ると、町がクリスマスムード一色になって、何となく心が浮き足立つものだ。筆者は、クリスチャンになる33歳まで、クリスマスとは、イエス・キリストの誕生日であり、サンタクロースがトナカイに乗って世界中の子どもたちにプレゼントを配り回るイベントだという位の認識だった。子どもの頃は、サンタクロースは実在すると思っていたのに、実は自分の親がサンタに扮していただけだと分かり、興醒めしつつも、年に一度、誕生日以外に大きなプレゼントがもらえる特別な日であるので喜んでいた。今も世の多くの人はその程度でしか、クリスマスを捉えていないだろう。
ところが、クリスチャンになり、クリスマスの本当の意味を知り、また、そのプレゼントが何であるかを知った時、びっくり仰天した。そのプレゼントのあまりにも大きなスケール、すごすぎる内容に、にわかには信じ難いかもしれない。しかし、それは真実なのだ。なぜなら、そのプレゼントをくださる神は真実な方であるからだ。その神のことばが誤りなく聖書に綴られている。
さて、プレゼントの中身についてもったいぶっているが、それを明かす前に、神について説明したい。聖書で啓示されている神とは、日本でよく言われている八百万の神とか、ギリシャ神話などに出てくる神々とは全く違う。それらは人間が作り出した偶像神である。そうではなく、聖書の神とは、創造主なる唯一の神だ。この世界、人間、その他のすべての生き物を造られた創造主を神という。その神が人間に語られた書が聖書である。聖書には、どのようにしてこの世界ができたか、どのようにして人間が存在するようになったか、などこの世の始まりについて書かれている。そのようなことが書けるのは、この世界を造られた神だけである。
神が造られた世界は完璧であり、死は存在しなかった。しかし、最初の人間であるアダムが神の命令に反したため、人間は死ぬようになり、被造世界の生きとし生けるものはすべて死ぬようになった。それゆえ、アダムの子孫である私たちもまた死を避けることはできない。死んだらどうなるのか、ということについて様々な意見があるが、真実は一つである。その真実とは、こうである。すべての人間は、死後に神の裁きを受ける。その裁きで有罪になれば、いわゆる地獄で永遠に苦しみの時を過ごす。無罪になれば、いわゆる天国で永遠に平安の時を過ごす。多くの人は、この死後の裁きについて作り話であると思い、真剣に向き合おうとしない。しかし、神のことばである聖書に、そのように書かれているので、これは真実なのだ。この厳粛な真理をどのように受け止めるかで、永遠の運命が決まる。
そして、もう一つ重要な真理は、すべての人は罪人であり、自力で無罪を勝ち取ることは不可能だということである。つまり、私たちは皆、死後の裁きで有罪となり、地獄に行くしかないということである。ここで終わると絶望しかない。しかし、ここでグッドニュースがあるのだ。そのグッドニュースこそ、本当のクリスマスプレゼントなのだ。
神は、罪とは無縁のお方であり、罪ある存在を受け入れられない。それゆえ、人間の罪を赦し、罪なしとするために、神ご自身が罪なき人間となられ、全ての人間の全ての罪を身代わりに背負って、罪の刑罰を受けてくださった。それがイエス・キリストというお方である。イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために十字架で死んでくださった。これにより罪の代価が全て支払われた。そして、イエス・キリストは墓に葬られた後、三日目によみがえられた。この復活によって、イエス・キリストの贖罪の死が有効であることが公然となった。そして、復活されたイエス・キリストは、40日後に天に昇られ、今は父なる神の右の座について、大祭司として私たちをとりなしてくださっている。このようなお方としてイエス・キリストに信頼する者は、神に義とされ、永遠のいのちが与えられ、死後の裁きで無罪とされる。そして、将来、決して朽ちることのない栄光のからだによみがえり、罪も死も悲しみも苦しみもない、完璧な神の国で永遠に安らいで生きることができる。この素晴らしい祝福が、プレゼントとして全ての人の前に差し出されているのである。そのプレゼントを自分のものにするためには、信仰によって受け取らなければならない。
イエス・キリストは、①私の罪のために死なれた、②墓に葬られた、③三日目によみがえられた。この福音の3要素を信じる信仰により、恵みによって私たちは神に義とされ、死後の裁きで無罪とされる。