2021年エシュコル掲載メッセージ



  • 2021/12/01
  • 受肉

なぜ神は人となられたのか?受肉の神秘に迫る!

クリスマスは、神の御子イエス・キリストの御降誕を記念するお祝いとして、広く世界に知れ渡っています。しかし、なぜ神が人となられたのか、その真意を理解している人は、意外と少ないのではないでしょうか。今回は、神が人となられた「受肉」という神秘について、その真相に迫ってみようと思います。



受肉とは

「受肉」という用語そのものは聖書にありませんが、その概念はあります。ローマ人への手紙8章3節に「神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。」とあります。神の御子イエスは、私たち人間と同じように肉体を持たれました。しかし、その肉体は罪に汚れているものではありませんでした。何故なら、「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます」(ルカ1:35)とあるとおり、神の力が働いたからです。よって、イエス・キリストは、100%神であると同時に、100%罪のない人間として生まれてこられたのです。

イエス・キリストは、神であられるのですが、神としての特権を捨てて、人間としての弱さを持ちながら生涯を過ごされました。つまり、神としての力を、人間的必要のために用いることはなかったということです。例えば、イエス・キリストは、石をパンにすることができましたが、いくらお腹が空いても、自分の空腹を満たすためにその力を使うことはありませんでした。

他方、「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、どんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハ6:35)とあるように、イエス・キリストは、神としてのご性質を表し、人々を救いへと導かれました。このように、イエスの公生涯で、人間性と神性の二つが偉大な対比として出ています。



受肉の預言

救い主(ヘブル語の「メシア」、ギリシア語の「キリスト」)は、神であり、同時に人として生まれることが旧約聖書で預言されていました。イザヤ書9章6節に『ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。』と書かれています。「ひとりのみどりご」、「ひとりの男の子」とあるように、メシアは人間として誕生することが分かります。また、その名が「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれることから、メシアは神であることが分かります。

また、メシアは、「それゆえ、主自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザ7:14)とあるとおり、処女から生まれることが預言されています。なお、「インマヌエル」とは、人間となられた神が私たちと共におられるという意味です。



受肉の成就

イザヤ書で預言されていたとおり、メシアが乙女マリアから誕生したのです。その詳細な記録が書かれているのが、ルカの福音書です。天使ガブリエルによって、受胎告知を受けたマリアは、処女であったのに、聖霊によってイエスを身ごもりました。マリア自身は罪ある女でありましたが、その罪は聖霊によって断ち切られたため、イエスは罪の性質を持たない完璧な人間性をもって誕生したのです。このことは非常に奇跡的なことでしたが、それ以降の出産の過程は、通常の女性が経験するものと同じでした。このように、イエス・キリストは、その誕生の時から神としての特権を捨てて、人間としての弱さを持って、この世に来られたのです。



受肉の目的

ここから、なぜ神が人となられたのか、つまり、受肉の目的についてご説明致します。

神を人間に啓示するため
神は霊であり肉体を持っておられませんので、人間は神を見たり触れたりすることはできません。しかし、受肉によって、人間が五感によって理解できる範囲に神が入って来られたのです。「わたしを見た人は、父を見たのです。」(ヨハ14:9)とあるとおり、イエス・キリストを見た人は、神を見たこととイコールなのです。私たちは、イエス・キリストを通して、神がどのようなお方であるかを知ることができるようになったのです。

真の人間性を啓示するため
イエス・キリストの受肉によって、罪のない人間がどのような人間であるかを示されました。罪に汚されていない真の人間性が示された時、自らの罪が示されるため、罪人はイエスから目を背けたくなります。しかし、信者にとっては、イエスは生きた手本であり、模範となりました。

罪の贖いを提供するため
人間が罪を犯した場合、血による贖いによって、神は人間との関係を回復してくださることを約束してくださいました。「実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。」(レビ17:11)とあるとおりです。ここで、神は死なないので、贖いを提供できません。また、普通の人間はすべて罪人ですから、死んだとしても永遠の贖いを提供できません。このジレンマを解決するのが、神が人となる受肉なのです。100%神であり100%人間であるイエス・キリストの十字架の死によって、永遠の贖いが提供されたのです。

ダビデ契約を成就するため
メシアは、ダビデの子孫として生まれ、永遠にイスラエルを統治することが、ダビデ契約という神がダビデと結んだ契約によって約束されています。このダビデ契約を成就するためには、メシアはダビデの子孫である人間でなければならず、また永遠に生きる神でなければならないのです。このジレンマも、受肉によって解決されました。

悪魔の業を打ち壊すために
この地上の支配権は最初アダムに与えられましたが、アダムが罪を犯して以降は、サタンがこの地上の支配者となりました。しかし、「その悪魔のわざを打ち破るために、神の御子が現れました」(1ヨハ3:8)とあるとおり、メシアが受肉され、悪魔の支配する領域にメシアが侵入されたことで、悪魔の業が打ち壊されたのです。

思いやりのある大祭司となるため
イエス・キリストは、受肉されて人間性を持たれたので、私たちと同じように疲れ、飢え、渇き、悲しみ、また誘惑にあわれました。それゆえ、イエス・キリストは、私たちの弱さに同情してくださるお方であり、今、思いやりのある大祭司として父なる神の右に座して、私たちのために執りなしてくださっているのです。

究極的な愛のかたち
神は永遠の昔から、私たち人間が罪を犯すことをご存知であり、その解決として御子を受肉させ、十字架の御業をなされることを計画してくださっていました。神ご自身が、言葉にならないほどの苦しみを通過することを分かった上で私たちを創造してくださったことを知った時、それほどまでに神は私たちのことを愛してくださっているのだと、本当に感謝の気持ちで一杯になりました。そして、この受肉という状態は、メシアの公生涯が終わってからも、永遠に続くのです。つまり、イエス・キリストは、その在り方として人間性を永遠に持ち続けてくださるということです。それほどまでに、神は私たち人間のことを愛してくださっているのです。このように、「受肉」とは、神の人間への究極的な愛のかたちなのです。この愛なる神に、栄光がとこしえまでもありますように。アーメン。

  • 2021/11/01
  • 神が人と結ばれた契約

神が人と結ばれた契約(3)

ノア契約に至る文脈

アダムとエバが罪を犯してエデンの園から追放された後、二人から生まれた子孫が増え広がりました。彼らから生まれてきた子供たちは、生まれながらに霊的に死んだ状態、つまり、神との関係が断絶した状態であり、また、罪の性質を持って生まれてきました。それゆえ、弟アベルを殺したカイン、二人の妻を持ったレメクをはじめ、地上には人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くようになりました。

そして、アダムとエバを誘惑したサタンに付き従った堕天使たちが、女の子孫として生まれてくるメシアの誕生を妨害するために、女性たちを次々と妻とし、ネフィリムと呼ばれる超人が生まれました。このように、すべての肉なるものが堕落し、暴虐に満ちた地を滅ぼすために、神は地球規模の大洪水を起こすことにされました。

しかし、神は恵みにより、ノアという神とともに歩んだ正しい人を選び、ノアと契約を結ばれました(創6:18)。そして、神は、ノアに箱舟を造り、ノアの三人の息子たち、妻、息子たちの妻とともに箱舟に入るよう命じられました。ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、ノアを含む8人だけが大洪水から守られました。

ノア契約

ノア契約は、ノアが全人類の代表として神の前に立ち、神とノアの間で結ばれました。このノア契約は、7つの条項からなる無条件契約、つまり、人間側の違反に関わらず永遠に有効な契約です。ノア契約の各条項は以下のとおりです。

①人類が増え広がり地を満たすように命じられました。(創9:1、7)
大洪水により世界人口は8人にまで減ってしまいました。そこで、エデン契約の時にアダムとエバに命じられたように、人が地に満ちるように命令が与えられました。ただし、「地を支配せよ」という命令は、サタンによって地の支配権が奪われたために与えられませんでした。

②動物が人に対して恐れを抱くようになりました。(創9:2)
人には動物界を支配する権利が引き続き与えられており、また次の条項にあるとおり、人に肉食が許されたため、動物が自己防衛のために人を恐れるようになりました。

③生きて動いているものと緑の草が人の食物となりました。(創9:3)
かつては菜食主義だった人間に、動物を食べることが許されました。

④血を食べることが禁じられました。(創9:4)
生き物の命はすべて血によって保たれており、血は命を象徴しています。それゆえ、命の尊厳を教えるために、血を食べることが禁じられました。

⑤死刑が、初めて人の社会制度に組み込まれました。(創9:5~6)
ノア契約以前は、死刑制度がなかったため、カインがアベルを殺しても、カインは死刑にされず生き続けました。しかし、ノア契約以降、殺人者はすべて死刑に処されることになりました。

⑥神は、二度と人類を地球規模の洪水で滅ぼすことはしないと約束されました。(創9:8~11)
ノアの洪水以降も局地的な洪水は起きますが、地球規模の洪水は二度と起きないことが約束されました。世の終わりに、神が再び人類に裁きを下す時、それは洪水ではなく、火による裁きとなります。

⑦虹が契約のしるしとなりました。(創9:12~17)
ノアの洪水以前は、雨は降らず、露が地を潤していました。しかし、大洪水の際に40日40夜降り続いた雨によって、地球を覆っていた水蒸気層がなくなり、地球環境が激変しました。それゆえ、降雨に伴う現象である虹はこの時初めて起こりました。この虹がノア契約のしるしとなりました。



ノア契約から学ぶ神のご性質

神は、人類が堕落し、悪が増大するのをご覧になり、大洪水によって人類を滅ぼされました。このことから神は義のゆえに裁きを下されるお方であることがわかります。その一方、神は、ノアを含む8人を残してくださり、この8人から再び地に増え広がることを許してくださる愛なるお方であることも分かります。

このように、神は悪を憎み、罪を裁かれますが、神のことばに聞き従う者には祝福を与えてくださいます。また、死刑制度や血を食べることを禁じられたことから、神はいのちの尊厳をとても大切にされていることが分かります。この神が、御子イエスを十字架に付けるほどに私たちを愛してくださっています。この愛を受け取り、喜びと平安の中で生きて参りましょう。

  • 2021/10/01
  • 神が人と結ばれた契約

神が人と結ばれた契約(2)

アダム契約

アダムが、善悪の知識の木から取って食べたために、エデン契約は破棄されました。そこで、神は、再びアダムを人類の代表として、アダムと契約を結びます。これをアダム契約と言います。アダム契約は無条件契約、つまり、人間側に不従順があっても破棄されることがない契約です。その内容は、アダムの罪の結果としてこれから全人類に下る裁きの宣言であり、また、やがてメシアがサタンに勝利するという希望の約束です。このアダム契約は、善悪の知識の木から取って食べることに関わった蛇、サタン、エバ、アダムのそれぞれに対する条項で構成されています。



蛇に関する条項

エバを誘惑するために用いられた蛇は、動物界にいるどの生き物よりも呪われ、これ以降、腹這いで歩き、ちりを食べるようになりました。「ちりを食べる」という表現はヘブル語の慣用句で「ひどく呪われる」という意味であり(ミカ7:17)、この呪われた状態は千年王国でも継続されます(イザ65:25)。



サタンに関する条項

エバを誘惑した張本人であるサタンに対し、神は次のような宣言をされました。まず、サタンと女との間に永久に敵意が置かれました。この敵意は、「サタンの子孫である反キリスト」と「女の子孫であるメシア」の間で頂点に達します。サタンは、女の子孫のかかとに傷を負わせますが、これはイエス・キリストが十字架に架けられた時に実現しました。そして、女の子孫がサタンの頭を踏み砕きますが、これはイエス・キリストが復活した時に部分的に成就し、サタンが火の池に投げ込まれる時に完全に成就します。これは、主イエス・キリストがサタンに勝利するという最初の預言であり、原福音と言います。



エバに関する条項

エバとそれ以降に生まれてくる女性は、月経の痛みと受胎の頻度が増すようになり、出産時に苦しみが伴うことになりました。また、妻は、堕落前と同様に、夫に従う立場に置かれているのですが、これ以降、夫の支配に反抗したい、夫を支配したいと思うようになりました。



アダムに関する条項

アダムは全人類の代表として行動し、罪を犯したので、アダムに下る裁きは、全人類また被造世界全体に及びました。まず、土地が呪われ、人が耕しても容易には応答せず、いばらとあざみと雑草を生えさせるようになりました。人は野の草を食べる、つまり、菜食主義であり、動物を食べることはありませんでした。また、労働は重くて苦しいものとなりました。そして、人は肉体的死を経験する者となりました。



アダム契約から学ぶ神のご性質

アダム契約は無条件契約であり、今も有効であるということは、今私たちが生きている世界を見た時に、実感をもって分かります。人は何故死ぬのか、出産は何故苦しいのか、などといった究極的疑問への回答がここにあったのです。アダムが犯した罪のゆえに下った裁きは本当に厳しいものですが、それと同時に、神は私たちへの救いの道も備えて、約束してくださっているのです。

このアダム契約から、神は、罪をそのままで受け入れられない聖なるお方であり、罪に対して裁きを下される義なるお方であることが分かります。また、神は、人間を救うためにメシアを遣わしてくださる愛なるお方であり、サタンを滅ぼすことができる全能なるお方であることも分かります。そして、神は、時間を超越した永遠なるお方であり、歴史を導いておられる方であることも分かります。天地万物の創造主なる神は、このように偉大であり、素晴らしいお方です。この神に敵対するのではなく、従順に生きることこそ、人間として最も幸せな生き方なのです。神の御心を求め、聖霊に心を明け渡して生きていこうではありませんか。

  • 2021/09/01
  • 神が人と結ばれた契約

神が人と結ばれた契約(1)

人と契約を結ばれる神

私たちは創造主である神がどのようなお方であるかを、聖書を通して知ることが出来ます。何故なら、聖書は神がご自身について啓示された書であるからです。聖書を読むことで、神は全知であり、全能であり、愛であり、義であり、聖であり、遍在であり、永遠であることが分かります。

また、神は人と契約を結ばれるお方なのです。神はその契約を全て100%成就されることで、ご自身の栄光を現されます。私たちは神が必ず守ると約束してくださった契約の故に、永遠の希望を持つことができるのです。これから、神が人と結ばれた契約がどのようなものかを確認することで、神のご性質について学びたいと思います。



エデン契約の締結

神が人と最初に結ばれた契約を、エデン契約と言います。最初の人間であるアダムは人類の代表として神と契約を結びました。このエデン契約によって、神は人を地球の管理者とすべく、様々な命令や権利を与えました。まず、人は、子孫を増やして地に広がるように命じられ、地を支配する権利、すべての生き物を支配する権利を与えられました。また、人に食物に関する規定が与えられ、エデンの園を耕し、そこを守るよう命じられました。

この時のアダムは、無垢な状態、つまり、まだ罪を犯してはいないが罪を犯すことも犯さないこともできる不安定な状態でした。そんなアダムが神の命令に従順に生きるかどうかを試すために、唯一の禁止令が与えられました。それが、善悪の知識の木から取って食べてはならないという命令でした。そして、この命令に違反した場合の罰が宣言されました。それが霊的死です。



アダムの失敗

もしアダムがこの禁止命令を破らず、神の命令に従順に生きていれば、アダムの無罪性が確定していました。しかし、残念ながらアダムはこのテストに失敗してしまいました。その瞬間、人は霊的に死にました。つまり、神との交わりが絶たれてしまったのです。かつては神に対して好意を覚え、神との交流を楽しむ状態にありましたが、この時以降、人は神に敵対するようになりました。

人類の代表であるアダムの失敗により、その裁きは全人類に下りました。それ故、私たちは肉体的に生まれながらに霊的に死んでいるのです。このエデン契約は条件付契約であったため、アダムの違反により破棄されました。それに伴い、人に与えられていた地の支配権はサタンに奪われてしまいました。



エデン契約から学ぶ神のご性質

私たちはエデン契約から神のどのようなご性質を知ることができるでしょうか。まず、神は人に必要なものを全て与えてくださる愛なるお方であることがわかります。神はアダム(人)が生きていくために必要な食べ物を与え、住む場所を与え、仕事を与え、共に生きる動物たち、そして助け手となる妻を与えてくださいました。今、私たちが持っている全てのものは神から与えられたものです。『すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。』(ヨハ1:3)とあるとおりです。

また、神は約束を必ず守られる義なるお方であり、罪とは相容れない聖なるお方であることが分かります。アダムが罪を犯した時に、神は直ちにアダムを裁かれました。神がアダムをどれほど愛しておられたかは、神がアダムに与えてくださったものを見ただけで一目瞭然です。そのアダムとの交流を断絶するというのは、神にとってどれほど苦痛なことだったでしょうか。しかし、神は義であり聖なるお方ですから、罪を受け入れることはできません。それゆえ、神は御子イエスを遣わし、十字架の御業によって罪を解決し、人類に救いをもたらしてくださったのです。

このように神は愛であると同時に、義であり聖であるお方なのです。このお方に信頼することこそ、知恵ある者の生き方ではないでしょうか。

  • 2021/08/01
  • 救い

神の子とされた私たちの未来

神の子とされた私たち

イエス・キリストが私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また三日目によみがえられたことを信じ、イエス・キリストをそのようなお方として信頼した時、私たちの全ての罪が赦され、私たちは神の子とされました。そして、神の子とされた瞬間に私たちの心の中に住んでくださっている聖霊の力によって、私たちは罪の力から解放され、徐々に神の子として相応しい生き方をすることができるようになります。 では、神の子とされた私たちに待っている未来とはどのようなものでしょうか。



携挙

私たちは近い将来、突然この地上から天に携え挙げられます。これを携挙と言います。瞬きするよりも早く、一瞬のうちに、私たちの体は「栄化されたからだ」に変えられます。 このからだを持った私たちは、もはや死ぬことはなく、罪を犯すこともできなくなります。このからだは聖書の中で様々な言葉で表現されており、例えば「朽ちないもの」、「栄光あるもの」、「力あるもの」、「御霊のからだ」、「天に属する方のかたち」などと呼ばれています。もし、携挙の時に肉体が死んでいたとしても、復活して、栄化されたからだに変えられるのです。そして、雲に包まれて引き上げられ、空中でイエス・キリストと会うのです。



キリストの御座の裁き

その後、私たちは、「キリストの御座の裁き」を受けます。裁きと聞くと、何か罰せられるような気がしますが、そうではありません。このキリストの御座の裁きとは、私たちが受けるご褒美を決めるための裁きなのです。つまり、私たちがイエス・キリストを信じてから、いかに神の御心に沿って歩んできたかに応じて、報いを受けることができるのです。この判断基準は、働きの量ではなく、質です。

御霊の思いでなされた働きは、金、銀、宝石であり、肉の思いでなされた働きは、木、草、藁です。後者は火で焼かれると何も残らないのに対し、前者は火で焼かれることでより純度が増します。そして、私たちは、働きに応じて報奨をいただけるのです。



天での結婚式とキリストの再臨

キリストの御座の裁きという名の清めが終わった後、花嫁たる私たちは、花婿たるイエス・キリストと天で結婚式を挙げるのです。この間、地上では、七年間の大患難時代という、未曾有の苦難の時を迎えています。

反キリストという人物が世界を支配し、様々な天変地異、世界戦争、悪霊による攻撃が人々を襲います。その最後の最後、ユダヤ人がついに民族的に、イエス・キリストこそ救い主であることを認め、イエスの再臨を求めて「祝福あれ、主の御名によってこられる方に」と祈ります。その時、イエス・キリストは、私たちと共に再び地上に戻り、反キリストの軍勢及び不信者を滅ぼします。その後、地殻変動が起こり、地上がかつてのエデンの園の状態に回復されます。



千年王国と白い御座の裁き

再臨されたイエス・キリストが王となられ、地上を1,000年間支配されます。その時、私たちもキリストのもとで割り当てられた地を治めるようになります。この1,000年間、悪魔はハデス(よみ)にあるアブソス(底知れぬ所)という場所に閉じ込められます。

また、悪霊たちはバビロン、または、エドムに幽閉されます。しかし、この千年王国で生まれる人間は原罪がまだ残っているので罪を犯すのです。そして、1,000年の終わりに悪魔が解き放たれた時、海の砂ほどの多くの不信者が悪魔に惑わされてエルサレムを包囲しますが、彼らは天からの火で焼き尽くされます。その後、悪魔は火の池に投げ込まれ、すべての時代の不信者が「白い御座の裁き」を受けます。白い御座の裁きで罪の軽重が決められた不信者は、火の池に投げ込まれ、永遠に苦しむことになります。



永遠の秩序

私たち信者は、白い御座の裁きを免れ、新しい天と新しい地で、神と共に永遠に安らぐことができます。この新天新地は、今私たちが生きている天地とは全く異なり、新しく創造されるものです。そして、天のエルサレムが花嫁のように整えられて新地に降りてくるのです。

この聖なる都エルサレムは、1辺の長さが2,200キロメートル以上の立方体で、碧玉で造られた城壁や巨大な真珠で作られた門があり、大通りは透明なガラスのような純金でできています。この都は神の栄光が満ちており、その輝きによって照らされるので、太陽や月もなくなります。都の大通りの中央にはいのちの水の川が流れ、その両岸にはいのちの木があります。なんと素晴らしい世界でしょうか!私たちに約束されている未来はこんなにも輝かしいのです!この希望を見上げ、神の子にふさわしい生き方をしようではありませんか!

  • 2021/07/01
  • 信仰

God In, God Out

如何に生きるべきか

聖書と出会い、イエス・キリストの福音を信じることによって、死という最大の問題が解決された人にとって、次の関心事は「如何に生きるべきか」という問題だと思います。神から義と認められたことによって、過去に犯した罪、現在犯している罪、そして、これから犯すであろう将来の罪も赦されている、と知った時、人間の心には2つの相反する思いが生じます。

一つは、これだけの罪が赦されているのだから、神に喜ばれる清い生き方をしよう、という思い。もう一つは、すべての罪が赦されているのだから、何をしても良いのだ、これからも好き放題に罪を犯しながら生きよう、という思い。前者を新しい性質、後者を古い性質と言います。新しい性質とは、霊的に新しく生まれた時に聖霊から与えられた性質であり、古い性質とは、救われる前から持っている罪人の性質です。

神の恵みにより、信仰によって救われた人間の心のうちには、このように新しい性質と古い性質が共存し、両者がせめぎ合っているのです。よって、新しい性質に従って生きたいのに、古い性質が現れて邪魔をする、という葛藤に直面することになります。では、どうすれば古い性質を抑え込み、新しい性質を活発に働かせることができるようになるのでしょうか。



人間の性(サガ)

ここで、気合いや修行によって古い性質を抑え込もうと頑張ってしまうのが、我々人間の性(サガ)ではないでしょうか。 しかし、この方法を採用した場合、例外なく失敗します。罪を犯さないでおこう、と意識すればするほど、罪を犯したくなるのです。  使徒パウロがローマ人への手紙7章15節でこのように言っています。

「私には、自分のしていることが分かりません。自分がしたいと願うことはせずに、むしろ自分が憎んでいることを行っているからです。」(ロマ7:15) つまり、人間の努力のみによって善を行うことはできないということです。



肉に従うか、御霊に従うか

では、どうすれば良いのでしょうか。その答えは、「肉に従わず御霊に従って歩む」(ロマ8:4)ことです。また、「肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます」(ロマ8:5)とパウロは教えています。つまり、御霊に従って、御霊に属することを考えることで、新しい性質を活発に働かせ、神に喜ばれる清い生き方をすることができるのです。ここで、肉に属することと、御霊に属することを比較してみましょう。

肉に属することとは、以下のようなものです。 「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。」(ガラ5:19~21)

他方、御霊に属することとは、以下のようなものです。 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラ5 :22~23)

以上のように、肉に属することと、御霊に属することとは対照的なものです。これらの聖句をもとに、自分が肉に属しているか、御霊に属しているかを自己吟味することができます。



御霊に従って生きるためには

日頃、自分が目で見ているもの、耳で聞いているものは、肉に属するものでしょうか、それとも御霊に属しているものでしょうか。 英語で、「Garbage In, Garbage Out」という言葉があります。これは、ゴミのようなものを入れたら、ゴミのようなものしか出てこない、という意味です。 これを霊的生活に適用すると、肉に属するものに接して生きれば、肉的な生き方しか出来ない、ということになります。逆に言うと、御霊に属するものに接して生きれば、霊的な生き方をすることができる、いうことが出来ます。つまり、「God In, God Out」ということです。

このように、神に喜ばれる清い生き方をするためには、自らを肉に属することから分離し、御霊に属することの中に身を置くことが大切です。例えば、聖書を開いて静まってデボーションをする、主にある兄弟姉妹と交わりをする、聖書研究をする。などなど、肉に属するものから距離を取り、神との親しい交わりを持つことを生活の中心に置くことで、古い性質を抑え込み、新しい性質を活発に働かせることができます。その結果、神に喜ばれる清い生き方をすることが出来るようになります。

神を信じる私たちには自由があります。その自由を、放縦な生活のために用いるのではなく、神から受けた愛に応答するために用いたいですね。そうした選びをすることで、人間にとって本来の最も幸せな生き方をすることができるのです。God In, God Outを心がけて生きようではありませんか。

  • 2022/06/01
  • 死の解決(信仰義認)

死の解決は聖書にあり

最大の問題「死」の解決こそが重要

人間にとって最大の問題は「死」です。死の恐怖から逃れるために、毎日忙しく過ごし、死という現実から目を背けている人が多いのではないでしょうか。しかし、やがて年を重ね、また病気になったり、身近な人の死を目の当たりにしたりすることで、死と向き合わざるを得なくなる時が来ます。その時、死に対する解決を持っていない人は、どれほど絶望に打ちひしがれることでしょうか。この死という最大の問題を解決することこそ、人間にとって致命的に重要なことであると言えます。



根源的な問いの答えを持つ「聖書の神」

死という問題を解決するためには、まず、いのちについて理解する必要があります。何故、人間は生まれ、死ぬのでしょうか。また、どのようにして人間が、地球が、宇宙が存在するようになったのでしょうか。これらの根源的な問いに対する答えをどうすれば得ることができるのでしょうか。現代に生きる私たちがどれだけ科学を駆使したとしても、宇宙の始まりを再現することは不可能であるため、想像、仮説の域を出ません。

宇宙が始まる前から存在していたお方だけが、宇宙がどのように始まり、地球が出来、人間が誕生したかをご存知であると言えます。そのお方こそ、聖書で啓示されている神です。神は、宇宙、地球、人間を創造されたお方であり、いのちの支配者なのです。この神が、聖書の中に、これらの根源的な問いに対する答えを記してくださっているのです。そして、神は、死という人間にとっての最大の問題の解決法を、聖書の中で私たちに与えてくださっているのです。



全ての人間へのバッドニュース「罪、死、永遠の苦しみ」

死とは、人間の罪の結果であると、聖書は教えています。最初に創造された人間アダムが罪を犯したために、人間は死ぬようになりました。逆に言えば、アダムが罪を犯すまでは、人間は死ぬことがない存在だったのです。アダムは人類の代表として神と契約を結び、契約を破って罪を犯したために、死という裁きがその後の人類全体に及ぶようになったのです。

ここで、死とは「分離」を意味し、死には、霊的な死と肉体的な死があります。人間は、霊と肉体で構成されており、霊的な死とは、霊が神と分離することであり、肉体的な死とは、霊が肉体と分離することであります。アダムは、神との契約を破った時に即座に霊的に死にましたが、肉体的な死は遅れてやってきました。アダムの子孫である私たちは、霊的に死んだ状態で生まれるのです。霊的に死んだ状態、つまり、神から分離した状態を、聖書では「罪」と言います。

この罪を解決しないまま肉体的に死ぬと、その人の霊は、「ハデス」という地球の中心にある場所に行きます。ハデスは非常に苦しい場所であり、ハデスに行った霊は、そこで神による裁きがなされるのを待つことになります。やがてその霊は復活した肉体と結合し、神の裁きを受けます。その人は、罪が解決されていないので有罪となり、火と硫黄の燃える池に投げ込まれ、永遠に苦しみの中で生き続けなければならないのです。これは全ての人間が直面しなければならないバッドニュースです。



全ての人間へのグッドニュース「死の解決、イエス・キリストの福音」

しかし、神は人間を愛して、愛して、愛しておられるので、死に対する解決法を用意してくださいました。これをグッドニュース、つまり、「福音」と言います。神は義であり、聖であるお方であるので、神の裁きにおいて無罪とされるためには、神の義の基準を満たす必要があります。

しかし、生まれながらに罪の性質を持つ人間は、自分の力で神の義の基準を満たすことは絶対にできません。 例えば、「兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません」(マタ5:22)、「情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです」(マタ5:28)とあるとおり、実際に犯罪行為をしなくても、心の中でそのような思いをもっただけで、神の基準では罪なのです。それほどに神は聖いお方なのです。

神の義の基準を満たすというのは、例えるなら、東大医学部の入試で、幼稚園児が満点を取るようなものです。幼稚園児が東大医学部の入試で満点を取るにはどうしたら良いでしょうか。それは、その試験問題を作った人が書いた満点の答案用紙に、自分の名前を書いたら良いのです。これと同様に、神の義の基準を満たすためには、神の義の基準を満たした人の義を、自分のものとすれば良いのです。世界にたった一人だけ、神の義の基準を満たすことができたお方がおられます。その方こそ、神ご自身が人間となられた「イエス」というお方です。

イエスは、全ての人間の罪を贖うために、処女マリアから、聖霊の力によって、罪のない状態で生まれました。イエスは、一度も罪を犯すことなく生涯を過ごされ、神の義の基準を全て満たしました。そして、私たちの罪のために十字架で死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられました。このことによって、死の問題が解決されました。これが全ての人間に提供されているグッドニュースです。



「信仰義認」救いは神からの一方的なプレゼント

人間にとっての最大の問題である「死」は、イエス・キリストによって解決されました。ただし、この解決は、自動的に適用されるのではありません。このグッドニュース、福音を信じ、イエス・キリストをそのようなお方であると信頼した時に初めて、その人の罪がイエス・キリストに転嫁され、イエス・キリストの義がその人に転嫁されるのです。これによって、その人は神から無罪とみなされるのです。これを「信仰義認」と言います。

神に義と認められた人は、神にその罪を咎められることはなく、神に受け入れて頂けます。また、その人には永遠のいのちが与えられ、神と共に御国で永遠に安らぐことができます。よって、その人にとって、死は、もはや恐れるべきものではありません。むしろ、死とは、神がおられる天への門なのです。

この驚くばかりの恵みは、私たちが何か良いことをしたから与えられるのではなく、ただただ神からの一方的な賜物、プレゼントです。私たちがすべきことは、この神からのプレゼントを受け取るだけなのです。一人でも多くの方が、聖書から救いを得て、死という最大の問題を解決することが出来ますよう、心から祈っております。

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