- 2025/06/01
- 聖霊 / 新生
御霊によって生まれるとは?
ユダヤ教の教師(ラビ)の教授方法にはいくつかあり、①質問に対して質問で返す、②大から小への議論、③知っていることから知らないことへ、などがある。これらの教授法によって、真理をより深く理解することができるのだ。イエス・キリストは、これらのラビ的教授法を巧みに用いて、弟子たちに、群衆たちに真理を説き明かされた。今回は、イエス・キリストが、ユダヤ教の神学校の校長を務めたニコデモに対して、ラビ的教授法によって真理を教えられた事例をご紹介したい。
ニコデモが、ある夜、人目を気にしながらこっそりとイエス・キリストのもとに来た。ニコデモが挨拶の言葉を述べた直後、イエス・キリストはニコデモが何を聞きたいのかをご存知だったので、「どうすれば神の国(天国)に入ることができるのか」について話された。当時のユダヤ人たちは、ユダヤ人として生まれれば自動的に誰でも神の国に入ることができると信じていた。しかし、イエス・キリストは、それを否定し、「水と御霊によって生まれる」ことが、神の国に入るための条件であるとおっしゃった。水によって生まれるとは、母の胎内(羊水)から生まれるということである。それに対し、御霊によって生まれるとは、御霊なる神(聖霊)によって超自然的に霊的に新しく生まれることを意味している。前者は誰もが既に経験していることなのでよく理解できる。しかし、後者は、経験したことがないので直ちに理解することができない。そこで、イエス・キリストは、「知っていることから知らないことへ」というラビ的教授法を用いて、その意味を解説なさった。
ヨハネの福音書 3章8節
"風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。"
私たちは、風が存在していることを知っている。しかし、風そのものを見ることはできない。では、なぜ風が存在していることがわかるのか?それは、風が吹いた時に、ゴォーという音がしたり、木の葉が揺れたりするのを感じるからだ。つまり、風そのものがどこから来てどこに行くのかはわからなくても、風が吹いた結果として影響を受けたものを見ることによってそれがわかる、ということだ。それと同じように、御霊によって生まれた人というのは、御霊の影響を受けた結果としてのその人の行いを見ることでわかるのだ。この点をもう少し詳しく解説しよう。
私たちは、イエス・キリストを救い主として信じる信仰を持った瞬間に、聖霊なる神がその人の心の内に住まわれる。これを聖霊の内住という。これにより、それまでは、生まれながらの罪の性質(原罪)しかなかったところに、聖霊による新しい性質が与えられる。そして、聖霊の働きによって、新しい性質が活発に動き始めた時、その人にかつてはあり得なかった内的変化が与えられる。例えば、今までは嘘をいくらついても何とも思わなかったのに、嘘をつく度に心がチクチクするようになった、とか、今までは自分に敵対する人を憎む心で支配されていたが、赦す心が与えられた、などである。自分の頑張りでは決して生じ得なかった心の変化が、聖霊によってもたらされる。そして、その人は、外側の行為においても、内側の性質を反映するような愛の行為が伴うようになる。これを「御霊の実」という。その人が「御霊によって生まれた者」であるかどうかは、御霊の実が伴っているかどうかで判断することができるのだ。
聖霊の内住は、紀元30年にイエス・キリストが十字架について死に、墓に葬られ、三日目に復活された50日後である「五旬節の日」(ペンテコステ)に、聖霊が降臨されてから始まった。それがすなわち、教会の誕生である。教会とは、イエス・キリストを信じて聖霊が内住している信者の集合体である。教会を形成する一人ひとりが、聖霊の導きに従って生きる時、神の栄光が豊かに現れるのである。御霊の実をつける人生こそ、神が私たちに用意してくださっている祝福の道である。共に天の御国に向かって前進しようではないか。