- 2026/04/01
- 信仰 / 復活
「百聞は一見にしかず」?― 見ないで信じる者は幸いです ―
私たちは普通、「見たら信じる」と考える。だからこそ、「百聞は一見にしかず」ということわざがある。しかし聖書は、これとは逆のことを語っている。
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる者は幸いです。」(ヨハネの福音書20章29節)
なぜそのように言えるのだろうか。それは、物質世界と霊的世界の違いにある。
物質世界は、慣性の法則、運動の法則、作用反作用の法則をはじめとする物理原則に従って存在している。聞いただけでは信じられなくても、実験して確かにその通りになったことを確認することで、それを信じることができる。
例えば、鉄球と羽を同時に落としたら、どちらが先に地面に落ちるだろうか。多くの人は、鉄球の方が先に落ちると考えるだろう。しかし、それが真空状態ならどうだろうか。実は、真空の中で鉄球と羽を同時に落とすと、二つは同時に地面に到達するのである。このような直感に反する事実を実際に見ると、「百聞は一見にしかず」ということばの意味がよく分かる。物質世界では、見ることによって理解が深まるのである。
それと同じように、霊的世界にも霊的原則が存在する。しかし霊的世界では、「信じること」が理解の入り口である。なぜなら、霊的原則は、神のことばをその通りだと信じる信仰によって理解できるものだからである。
今の時代、イエス・キリストを救い主と信じる者のうちには、聖霊が住んでくださる。この内住の聖霊が、私たちに霊的真理を理解する力を与えてくださる。信仰を持つまではよく分からなかった聖書が、信仰を持ってから学ぶと驚くほど理解できるようになった、という経験をしたクリスチャンは少なくない。聖書を神の誤りのない御言葉として信じ、学び、それに従って歩むとき、御言葉が確かに真実であることを実際に体験するのである。
2026年という今の時代は、イエス・キリストが復活してから約2000年が経過している。私たちは、イエス・キリストが復活したその瞬間を自分の目で見ることはできない。しかし、確かに復活したと証言する弟子たちのことばを聞き、それを信じる者は幸いである。
聖書はこう語っている。
「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」
(ローマ人への手紙 10章17節)
神は、イエス・キリストを信じる者の罪をすべて赦し、永遠のいのちを与えると約束してくださっている。これもまた霊的原則の一つである。
では、何を信じればよいのだろうか。それは次の三つである。
① イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために身代わりとなって十字架で死なれたこと。
② イエス・キリストは墓に葬られたこと。
③ イエス・キリストは三日目によみがえられたこと。
このようなお方としてイエス・キリストを信じ、このお方に信頼する者は、罪と死の束縛から救われる。「信じる者は救われる」とは、この意味において真実なのである。
神は今、私たち一人ひとりに語っておられる。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
どうかイエス・キリストを信じ、神が約束された永遠のいのちを受け取っていただきたい。