- 2025/07/01
- 携挙 / 教会
結婚の奥義
人類史上、最初の結婚は、アダムとエバという一組の夫婦の間で行われた。
創世記 2章24節
"それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。"
この聖句にあるように、夫婦は「一体」である。この「一体」とは、お互いが独立しつつも、糊でくっつけたような状態になり、互いに契約を守り続ける状態になることを意味している。よって、結婚というのは、本来決して二人が離れることがなく、一体としてその状態が維持されるものである。もし離婚するようなことがあれば、糊付けされた紙がビリビリに剥がされるように、著しい痛みが伴うことになる。この結婚という制度は、神が人間に与えてくださった祝福であるが、実は非常に奥深い真理を宿している。その真理とは、イエス・キリストと教会の関係に関するものである。
聖書では、イエス・キリストは花婿であり、教会はその花嫁であると教えられている。イエス・キリストは夫として、妻である教会を愛しておられる。その愛は、命を捧げるほどの深い愛である。両者は一体となり、決して離れることなく、その愛の関係は永遠に続く。この素晴らしい真理が本体であり、その型として、結婚という制度が与えられた。人間同士の結婚関係を通して、キリストと教会の関係を理解できるようにしてくださったのだ。もちろん、罪人である人間同士の結婚関係は問題が多く、本来の姿が歪められてしまっている。しかし、キリストと教会の結婚関係は完璧なものであり、
そこには理想的な愛の関係がある。
今、イエス・キリストは、ご自身の花嫁である教会が、「しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないもの」となるように、きよめてくださっている。それが、私たち教会に属するクリスチャンの聖化である。聖化とは、罪の支配から解放されていくプロセスであり、私たちの人格がキリストに似たものに変えられていく過程を意味している。
これは、私たちの善行や頑張りによって達成するものではなく、神が一方的な恵みとして成してくださることである。私たちはただ信仰によって、神の恵みを受け取るだけで良いのだ。日々、聖書の御言葉を学び、そこで教えられている命令を実践していくことを通して、私たちの内側にいてくださる聖霊が働いてくださり、私たちの心をきよめ、その思いや行いを神に喜ばれるものに変えてくださる。こうして、私たちはキリストの花嫁として整えられていくのである。そして、イエス・キリストが花嫁を迎えに来てくださる日がやってくる。それを「携挙」という。
携挙が起こると、イエス・キリストを信じて死んだ全ての者が復活し、またその時生きている者は生きたまま栄光の姿に変えられ、天に引き上げられる。そして、イエス・キリストと出会い、そのまま神がおられる天に行って、そこで結婚式を挙げるのだ。今という時代は、その結婚式に備える準備期間と言うことができる。まず、イエス・キリストを救い主であると信じて救われること。そして、聖書を学び、神のみ心に沿った生き方を志して、聖霊により頼んで生きること。これが今の私たちに必要なことである。一人でも多くの方がイエス・キリストを救い主であると信じ、教会の一員となって、キリストの花嫁となりますように。